*[本]街道をゆく6 沖縄・先島への道

沖縄返還が1972年だから、その2年後に訪れている。
本島はほとんど触れず、石垣島竹富島などの先島諸島にページが
割かれているのは、興味がそちらに集中したからだろう。


1974年ごろは、まだ昔の文化が残っていたようだが、今はどうだろう。
小浜島にはゴルフ場ができ、竹富島には星野リゾートのホテルが建って
いる。もうすっかり観光地になっているのだろう。


司馬遼太郎は戦争を体験しているので、沖縄については一種のうしろ
めたさがある。この感覚は、当時の多くの人が抱いていたはずだが、
現在の辺野古基地問題ではまったく様相が違っているようだ。



太平洋戦争末期、本土決戦のため栃木県佐野に戦車部隊を集めた。
もし米軍が関東地方に上陸したなら、戦車部隊はそこに向かわなければ
ならない。
士官だった司馬遼太郎は、上司に質問した。
東京方面から逃げてくる人々が大勢いると予想されるが、そのとき
戦車部隊はどうしたらいいのか。
上官は、轢っ殺してゆけ、と言った。


この話はわりと有名なので、あちこちで引用されている。
司馬遼太郎もいろんなところで書いたのだろう。本書にも書いている。
そのあとに

 しかし、その後、自分の考えが誤りであることに気づいた。軍隊というものは
本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、という
ことである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、
古今東西の軍隊を通じ、ほとんど稀有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じる
ように思える。


 軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといった
より崇高なものであって、具体的な国民ではない。たとえ国民のためという
名目を使用してもそれは抽象化された国民で、崇高目的が抽象的でなければ
軍隊は成立しないのではないか。(p37)

 阿南惟幾終戦時に陸軍大臣)という人は、そういう組織論理の中に属して
いなければ、人柄から察して別な思想と人格のもちぬしだったかと思えるが、
それでも、終戦のとき降伏案に対し、かたくなに反対した。


 その理由は、日本陸軍はまだ本格的に戦っていない、というものなのである。
あれほど島々で千単位、万単位の玉砕が相次ぎ、沖縄は県民ぐるみ全滅した
という情報もあり、広島と長崎は原爆によって消滅し、わずかな生残者も幽鬼の
ようになっているという事態のなかで、軍隊の論理でいえば「日本陸軍はまだ
本格的に戦っていない」ということになるのである。


 島々の守備隊は、戦闘というよりただ潰されるがままに潰された。「本格的に
戦っていない」というのはその意味なのである。であるから本土において、本土
決戦用の兵力をひきい、心ゆくまで本格的に決戦すべきである、というのが
阿南惟幾の思想と論理で、これが、軍隊の本質そのものといっていい。住民の
生命財産のために戦うなどというのは、どうやら素人の思想であるらしい。
(p38)


これは軍隊を会社に置き換えても通用する気がする。


与論島西表島も訪れているけれど、そのあたりのエピソードはあまり
面白いものではなかった。が、一度は訪れてみたいところである。