昭和のクズ男といえば、酒を飲んでギャンブルで借金をつくり

女房子供に暴力をふるい女を作って出ていく、というイメージがある。

ちょっと憧れるのだが、これはクズになれる素質がある人間だけが

成し遂げられるエリート像なのだ。

 

 

私の場合、まず酒を浴びるように飲めない。すぐに吐いてしまい

苦しくなる。

ギャンブルも興味がない。例えば競馬にのめり込むには、大量に

データを記憶する必要がある。去年の菊花賞馬は、と問われて

すぐに答えられ、2着3着も言えるのが普通だろう。とても憶え

きれない。

女房子供もいない。そもそもなぜ女とすぐに懇ろになれるのか。

暴力をふるう相手が存在しないのだから、クズになりようがない。

 

 

そうすると、令和のクズ男はどういうことをしているか。

二郎系ラーメンを食べてソシャゲに課金してSNSで暴言を吐く、

といったところだろうか。

基本的にひとりだから、あまり迷惑をかける人がいない。

SNSで誹謗中傷するのに特化しているのだろうか。

 

 

いずれにせよ、クズ男になるためには濃厚な人間関係が必要だ

ということだ。

私のように良いことも悪いこともできない男は、いてもいなくても

いいのだろう。