日本が豊かだったころってあったの? というツイートを見た。

おそらく若い人なのだろう。

あったのである。

 

 

日本が豊かだったとき、CMにはハリウッドスターが出ていた。

シルベスター・スタローン伊藤ハムの、アーノルド・シュワルツェ

ネッガーがアリナミンVのCMに登場し話題になっていた。

その流れで今でも出演しているのは、サントリーBOSSのトミー・リー・

ジョーンズぐらいではなかろうか。

 

 

当時はインターネットなどなかったので、日本限定の放送で

自分のイメージを崩すことなく、巨額のギャラを稼いでいた。

たしか「ロスト・イン・トランスレーション」という映画も

ビル・マーレイが日本のCMに出演するスターを演じていた

と思う。

 

 

日本はもはやハリウッドスターに払えるギャラもなく、電通

博報堂には面白いCMを作るクリエイターもいなくなった。

 

 

私が見る深夜アニメなどのCMでは、老婆のシミや排水溝の汚れが

大写しになっている。チューリッヒのお姉さんは15年ぐらい前から

変わっていない。

 

 

地上波のゴールデンタイムのCMはまだ質を維持しているかも

しれないが、この先はどうだろうか。

地方ローカルCMの方が、まだがんばっている感じがする。

 

 

そういえば、テレビCMが話題になって人気になった女性って

広末涼子宮沢りえが最後だったろうか。

広告代理店は政治にがっつりからんで利権を貪っているので

テレビCMなどどうでもよくなったのだろうな。

 

そういえば、冬目景のマンガの2巻を買い忘れてたな、と積んである1巻を

見て思い出した。

これですね。

 

 

で、クルマで明屋書店に行ったら、マンガの並びがタイトル名順になっていた。

TSUTAYAと一緒やんけ、とムカついた。

出版社別にはなっていたけど、探すのに苦労した。

 

 

というのも、私は冬目景ヤングジャンプで描いているマンガ、という記憶で

探していたからで、タイトルはぼんやりとしか思い出せなかったからだ。

百木田と書いて「カラキダ」と読むけど、パッと出てこなかった。

 

 

 

 

しかし、一般の書店までマンガの並びがタイトル名順に

なってしまったのは、タイトル名を頼りに探す客が多いからなのだろう。

鬼滅の刃」とか「呪術廻戦」とか「チェンソーマン」とか。

要するにビッグタイトルの需要が増えたわけだ。

 

 

ちなみに文庫本は以前と同様、出版社別→作者別になっている。

 

 

マンガの読者の客層が、アニメで大ヒットした作品ばかり求めるように

なったのでは、という仮説が正しいかどうかは分からない。

私はタイトルより作者の名前を優先させるタイプだが、実は昔から

そういう人はマイノリティなのかもしれない。

 

 

一番いいのは、イライラする前にスマホで検索する、だな。

TSUTAYAは出版社もごっちゃになって、純粋にタイトル名順だから

キーッてなるけど、私以外の人は普通に探せているのだろうか? 

*[映画]かがみの孤城

サービスデーの日で、レイトショーの一つ前の回で見た。
観客は10人ぐらい。
スペシャルポストカードもゲットできた(ウレシノ×フウカとココロ×リオン)。



モーニング娘。羽賀朱音さんが原作小説の大ファンで、絶対に映画も
見に行くとブログに書いていた。
そんなにいいのか、と思っていたらツイッターのタイムラインで絶賛の
声がいくつか上がっていたので見に行った。


たしかに素晴らしい作品だった。
謎が解き明かされるときに、すべてがピタリと合わさっていくような
美しい構造を持っていて、それが鑑賞後の余韻となって響いている。
興行収入がどれくらいなのか分からないが、「すずめの戸締まり」と
同じぐらい評価されるべき映画だと思う。



以下、ネタバレあり



原作は未読なので、映画からしか読み取れないのだが、この作品の
テーマのひとつはいじめである。


いじめられた中学生たちが逃避する場所として、かがみの孤城はある。
作中では、学校の対応の酷さが明らかになっており、フリースクール
すべての子供を救えるわけではない。


もし現実に傷ついた子供たちがいたなら、この作品が救いの一助と
なるはずである。


ひとつ気がつくのは、現実世界に登場する大人の男性にろくなやつが
いないことである。主人公ココロの父親はほとんど姿を見せない仕事
人間だし、アキはレイプされそうになる。
逆に、大人の女性は頼りになる人が多い。ココロの母親もそうだし
何より喜多嶋先生がいろんな意味で物語の核心を担っている。
作者は特に意識していないのかどうか分からないが、ジェンダー
役割としてそう考えているのかな、とも思う。



またしても、と苛立ったのは、いじめの加害者である真田という
少女が、なんの罰も受けていないことである。
ココロの友達の萌ちゃんからは「恋愛とか目の前のことにしか
興味がなく、ずっとあのままだ」と切り捨てられていて、私も
その通りだと思うのだが、世間では真田たちのような人が
陽キャとしてスクールカーストの上位に立ち、どれだけ人を
傷つけたか反省することなく一生を終えるのである。
(「3月のライオン」でも、いじめの加害者が反省することは
なかった。現実はそういうものだとしても悔しい)


映画の予告編で、たまたま「なのに、千輝くんが甘すぎる。」を
見て、真田たちはこういうのを見て、たぶん「かがみの孤城」は
見ないんだろうな、と思った。


そろそろ、ああいう加害者たちをどうにかすべきなのでは
ないか、と考えるのだが、加害者にも人権があるのだった。





おおかみ様を演じた芦田愛菜は、私の印象では今一つで、
もし久野美咲が演じていたらどうだったのか、と思わない
でもない。


なぜ同じ中学校に通っている生徒たちなのに、現実の学校では
出会えないか、という謎は、途中でなんとなく分かってしまった。
小説なら叙述トリックでいろんなヒントを出しつつ隠せるだろう
けど、映像はなかなか難しいだろう。
二周目からは、たぶんあちこちにヒントが出てくるのが分かって
楽しめるはずだ。


良い作品なので、もっとたくさんの人に見てほしい。
年末年始におすすめの一本である。

クリスマスに対して悪意はないし、楽しんでいる方はどうぞそのまま

幸せに過ごしていただきたい。

 

 

しかし、キリスト教徒が1%ぐらいしかいない国で、なぜこんなに

クリスマス行事が変な形で定着したのだろう、という疑問がある。

日本だけではなく、西欧風の近代文明が入ってきた国でも、この

催しは広がっている。

 

 

日本に限れば、経済成長とともに豊かになっていく時代の伴走者と

なり、幸せな記憶として人々の生活に浸透していったのでは

なかろうか。

 

 

クリスマスプレゼントやケーキなどは、もともとは業者の宣伝で

広まったものであろう。

しかし、贈り物を受け取ったり甘いものを食べた記憶が、次世代に

受け継がれていき、いつの間にか年末の行事になっていった。

 

 

もうひとつは、映画や音楽の演出だろう。

大量のクリスマス関連の作品がメディアにあふれており、それを

浴びるように育った世代が、宗教に関係なく、クリスマスは

素敵なものだ、と刷り込まれていったのではなかろうか。

 

 

また、バブル世代は、クリスマスは恋人と過ごすもの、という

洗脳を受けており、一時的に社会全体が気が狂ったようになった

こともあった。

これはバレンタインデーも同様で、令和のいまとなってはそこ

までの恋愛圧力はない。世の中が正気に戻ったのだ。

 

 

 

 

私のように、クリスマスに特に幸せだった記憶がない人間に

とっては、海外の奇習を眺めている感じになる。

こういう幸せの連鎖から外れた人は、仲間はずれにされた

ような寂しい気持ちになるだろう。

 

 

だが、気持ちを強く持ってほしい。

多くの人はクリスマスという雰囲気に酔っているだけなのだ。

その同調圧力に潰されないでいただきたい。

 

 

その証拠に、明日以降はクリスマスなどなかったかのように

正月シーズンに突入する。

一時的な熱狂に身を投じることができるのは、若者と馬鹿者だ。

クリスマスに対する熱は、ハロウィンに移ったような気がする。

 

 

 

 

このところ宗教の賞味期限を考えている。

エジプト文明メソポタミア文明のときに信じられていた宗教は、

現在では廃れている。

 

 

もし絶対的に正しい宗教であれば、人類が続くかぎり同じものが

信仰されているはずである。

 

 

キリスト教は誕生して2000年ぐらい経っているが、6000年後は

どうだろうか? 

 

*[映画]すずめの戸締まり

平日のレイトショーで観客が10人ぐらい。
同じ時間帯に3つの劇場を使っていたからか、すごく分散していた
気がする。


「すずめの戸締まり」は、面白いロードムービーだった。
八幡浜や西条がロケ地になっていて、愛媛県民としても嬉しい。


「君の名は」のような複雑な時系列もなく、「天気の子」のように
引っかかる部分もなく、すごくスムーズな展開だった。
(西条から神戸までのヒッチハイクは都合がよすぎた気もするが)
いい意味で熟練を感じさせるストーリーテリングだと思う。


災害を鎮魂する、というテーマも今のタイミングがベストだった
のではなかろうか。
主人公が愛媛県を旅したのも、2018年の西日本豪雨の水害の
被災地だったからかもしれない。
多くの人は忘れているだろうけど。



ところで、なぜ草太は椅子になってしまったのだろう。
すずめの母が作ったもので、大切にしていたものだから、
だろうけど、設定の段階で椅子にしたのはなぜなのか? 
ハンドメイドのものなら、ぬいぐるみでもかまわなかった
はずだし、けん玉みたいなおもちゃでもよかった。


たぶん、新海誠は無意識に決めていたのだと思うが、
椅子にされた男が、女子高生に座られたり踏み台に
される、というシチュエーションには、隠された
フェティシズムがあるような気もする。
さらに3本脚なのも何かの欠如を暗示しているとか。
いや、これは穿ち過ぎだな。
3本脚の椅子が動き回るアクションが面白いから
だろう。



あの要石のネコをダイジンと名付けたのは
誰なのかも気になる。


すずめに嫌われて痩せネコになってしまうところが
よかった。再びふっくらするのも可愛い。
最後はかわいそうだったな。



ミミズは自然災害のメタファーである。
扉を締めて鍵をかけることは、自然をコントロール
することでもあるが、それを神事のような形で視点を
ずらしている。


隕石の落下や豪雨はコントロールできなかったが、
今回はなんとか封じている。
そこが本作のエンターテインメントとしての成熟と
いうことになるのかなぁ。

*[本]インド宗教興亡史

インドでは現在ヒンドゥー教至上主義が広がっている。
それ以前はどうだったか、概説してくれる良書だった。
ただ誤植が多い。以下にまとめておく。

p112 7行目 強くりなり→強くなり

p152 最後の行 アウランガゼーブ帝→アウラングゼーブ帝

p169 7行目 倫理的なで→倫理的で

p181 7行目 ソロアスター教徒→ゾロアスター教徒

p239 11行目 いすれにしても→いずれにしても

筑摩書房校閲は何をしておったのだろうか。


ヒンドゥー教が信仰されている限り、インドに西欧的な
近代は定着しないだろう。
おそらく中国もそうで、西欧がいう近代は普遍的なものか
どうか疑問に思っている国は多いと思う。
ロシアもそうで、その反動がウクライナで暴発したのだ。



ところで、インドと中国はヒマラヤ山脈があるために
陸路での交流は難しかったはずだ。
だが、中国から命がけでやってきた僧侶が仏教を
持ち帰り広がった。
日本人のお坊さんが読んでいるお経は、漢訳された
仏典であろう。


では、中国からインドに及ぼした影響は何があるの
だろうか? 紙や羅針盤や火薬のような発明が多く、
思想的なものは何もなさそうである。
儒教がインドには広がらなかったのはなぜなのか。
イスラム教徒のように侵略しなかったからなのだろうか。


このあたりの、インド文明と中華文明の相容れない感じが
不思議でならない。

ドラッグストアで、日東紅茶 至福のさくらんぼ《佐藤錦》が3割引だったので

買ってみた。

アマゾンで検索したが、さくらんぼはなかったのでシャインマスカットのを

貼っておく。期間限定商品だったのかもしれない。

 

 

最初は炭酸水で割って飲んで、ああなるほど、さくらんぼテイストの

紅茶やな、と思ったのだが、まてよ、これをコーラに入れたら、と

試してみた。

 

 

すると予想どおりチェリーフレーバーのコーラになったではないか。

ジェネリックドクターペッパーの誕生である。

 

 

私はドクターペッパーが好きなのだが、田舎ではまず売ってない。

これを使えば簡単にドクターペッパーっぽいものができるのだ。

 

 

コツは、コーラを350ml入れた後に、小さじ半分ぐらいの量を

投入することだ。コーラの炭酸で勝手に溶けてくれる。

 

 

この日東紅茶のシリーズがあれば、フルーツフレーバーのコーラが

簡単にできるだろう。

お試しあれ。