野党が参考人招致を求め、与党が拒否する、ということが

よくある。

規則では証人喚問ではないので任意だそうだが、与党は

どういうロジックで参考人招致を断っているのだろう? 

 

野党が誰も彼も国会に呼んで質問攻めにするのは問題だと

思うが、そういう運用をしなければいいだけの話だろう。

与党に不利なことを言われる可能性がある場合は拒否できる

という権限の根拠が知りたい。

 

ある程度の人数を超えて要求があれば、参考人招致を拒否

できないような仕組みを作るべきなのでは、と思う。

 

読売新聞に連載していた浅田次郎の小説「流人道中記」が終わった。

姦通の罪を犯した35歳の旗本を19歳の与力が江戸から松前藩まで押送

する物語である。

 

第1回はものすごくとっつきが悪くて(偉い侍たちが罪人をどうするのか

という会議の場面が続く)、はたしてこの小説はどうなんだろうと思ったが、

旅に出てからはもう面白くて、一級のロードムービーを見ているようだった。

 

バディものの例に漏れず、身分の高い旗本と末端の役人である与力の仲は

最悪なのだが、旅を通してお互いの事情が分かってきて、若い与力は教育

されるのである。

 

道中でさまざまな事件が起こるが、旗本はそれらを鮮やかに解決していく。

とても地の果てまで流刑になる罪人とは思えない。

なぜそんな罪を犯すことになったのか、旅の終盤に語られ、読者は深い

ため息をつくだろう。

 

それだけに、最後はあっさりと終わってしまって、もう少し余韻がほしかった。

いったい彼らはその後どうなるのか。幕末の話なので、明治維新後も生きて

いたら何をしたのか知りたい。

 

映画化するなら、青山玄蕃は阿部寛、乙次郎は池松壮亮あたりで

どうだろうか? 

あいちトリエンナーレの表現の不自由展再開について、

立川志らくのコメントが炎上しているらしい。

倫理的に許されないものは表現すべきでない、という

主張だと読めるのだが、それは立川流にとっては禁句

ではなかろうか。

 

というのも、立川談志は落語を「人間の業を肯定するもの」

と定義づけているからだ。

業というのは人間のどうしようもない欲望や行いのこと

だろう。つまり倫理に反することだ。

 

落語はそういうことを肯定して芸に昇華するものだ、と

いうのが立川志らくの師匠の言葉だろう。

 

芸術の表現も、人間の業である。

好き嫌いは言ってもいいが、作ったり展示すべきではない、

というのは話の筋が違うのではなかろうか。

映画「ガールズ&パンツァー最終章 第1話+2話4DX版」を

見てきた。

初日のレイトショーで、観客は50人ぐらい。

1話と2話が連続していたので印象がちょっと違った。

 

4DXなので、まるでアトラクションのように座席が動いて

楽しかったけれど、水が予想以上に顔にかかったので、途中で

停止ボタンを押した。メガネの観客は拭くものを用意すべきだ。

 

上映後、「あー」とか「うー」という声があちこちから上がった。

背中をマッサージされたガルパンおじさんたちの呻き声だ。

自分をふくめた皆さんの年齢がしのばれる。

 

「次は2年後か……」と言いながら劇場を出ていく人を見た。

長生きして6話まで見たいものだ。

 

ところで、脚本の吉田玲子は最近なにをしているのだろう? 

仕事が激減しているようなので心配だ。

 

福井県高浜町の元助役が関西電力の幹部らに贈賄していた

事件で、元助役がいかに怖い人だったか、という話が伝わって

きている。

結局、こういうジャイアンみたいな人は、古今東西みんな

困っているのだ。

 

 

王政であれ共和制であれ、権力を握った人はずっと握り続け

ようとする。

 

なので、どんなに悪い人でも(逆にいい人でも)権力に期限を

設けて交代させるのが、一番被害が少ないはずである。

近代的な法治国家なら、たいてい権力は限定されているのだが、

独裁者はどうにかしてそれを解除しようとするものだ。

 

 

国家レベルでは解除は難しくても、市町村役場とか学校とか企業では、

ジャイアンみたいな人がずっと権力を握り続けていることがある。

目の前で恫喝されると怖くて言うことを聞いてしまうのだ。

 

これに対処する方法はあるのだろうか? 

暴力には暴力で抵抗するしかなさそうだが、普通の人はジャイアンには

なれないのである。

 

結局、ジャイアンは死ぬまで権力を握り続けて、長い間みんなが

苦しい思いをする。得をするのはジャイアンに気に入られた人だけだ。

 

我々はどうしたらいいのだろうか。

弱い人が団結してジャイアンを殺すしかないのではなかろうか。

それが野蛮だというなら、誰かスマートな解決方法を教えてほしい。

 

アニメ「キャロル&チューズデイ」を見終えた。

2クールで全24話だったが、これは1クール13話まで

刈り込んだら傑作になったのではなかろうか。

 

いろんなエピソードを盛り込んで見ごたえはあったのだが、

オーディション番組のあたりで脱落した人も多かったと思う。

(版権の関係でたくさんの歌手を出さなければならなかった

という事情はあると思うが)

 

AパートとBパートの間には必ずシングルレコードのレーベルを

アップにしてレイアウトしていることからも分かるように、

この作品はオールディーズが好きな人のための音楽アニメだ。

とはいえアニメの中で演奏された楽曲は2010年代の音になって

いて、いまの若者への目配りもある。

と同時に全曲英語で唄っているので、海外への販売がメインなの

かもしれない。

 

話の最後は、ほとんど“We are the world”である。

しかもシンガーはほとんどが女性だった。時代を表しているのか。

 

 

物語のテーマは、現代の米国が向き合う社会問題とシンクロして

いる。移民や貧富の格差、有色人種の差別などである。

敢えてテラフォーミングされた火星を舞台にしたのは、米国だと

名指しを避けるためだったのかもしれない。

 

もうひとつは、AIがつくる音楽と人間がつくる音楽の対決だった

はずだが、いつの間にかうやむやになっていた。

 

AIの歌姫になるはずだったアンジェラを演じた上坂すみれ

好演していた。「荒ぶる季節の乙女どもよ」の曽根崎部長とともに、

夏アニメでの活躍が目立ったと思う。

 

 

そういえば、主人公の二人は一度も喧嘩しなかったな。

昔のアニメだったら絶対に対立してからより仲良くなっていたはず

だが、最近はそういうのは流行らないのだろう。

 

70年代から80年代の米国のポピュラー音楽が好きな人であれば

楽しめる作品である。

 

 

*[本]政と源

墨田区に住む老人ふたりを中心に描かれる下町の人情物語を装った、
枯れ専BL小説である。たぶん。
普通に年寄りの日常のあれこれが書かれた話に読めるんだけど、
BL好きが読んだら分かる何かがあると思う。よく知らんけど。


舞台の町には江戸時代から残っている水路があって、主人公たちは
当たり前のようにボートに乗って移動している。
こんな町がまだあったのか、と驚いた。


よく読むと、政こと有田国政の内面は書いてあるが、源こと堀源二郎の
心理は書かれていない。あくまでも政から見た源の描写だけである。
なぜそうしているのか。政にとって源がヒーローだからだろう。
元銀行員が簪職人の生き方にあこがれているのである。
職人をリスペクトする三浦しをんらしい佳作だった。



ところで、本作は集英社オレンジ文庫から出ている。
同様なものに新潮社nexというのがあり、ともにライト文芸という
くくりの小説を出版しているらしい。


ライトノベルやマンガと一般的な文学小説の中間のレーベルだと
思うが、読者はどのくらいの年齢層なのだろうか? 
出版社は20代を想定しているはずだ。


その20代の読者向けの小説で、74歳のおじいさん二人を主人公に
するというのは、かなり冒険なのではあるまいか。
編集者とどういうやりとりがあったのか気になる。


有川浩の「三匹のおっさん」が当たったので、そういうものを、
というオファーだったのだろうか。
いや、やはり三浦しをんなので、枯れ専BLを一発かましてやろう、と
意気込んだに違いない。
マンガにするなら「昭和元禄落語心中」の雲田はるこでしょうな。