小林よしのりがマンガで、新型コロナウィルスは風邪と一緒

だから大したことはない、というデタラメを描いた。

これを信じる人がいるらしい。

 

なので、対抗して「もやしもん」の石川雅之が正しい知識に

基づいた新型コロナウィルスについてのマンガを描いて、

厚労省が買い取って広めるべきではなかろうか。

 

たしか岩田健太郎と組んで感染症の本を描いていたはずだ。

 

 これの普及版みたいなのを広めて、小林よしのりを駆逐して

ほしい。

*[本]街道をゆく11 肥前の諸街道/街道をゆく26 嵯峨散歩、仙台・石巻

街道をゆく 11 肥前の諸街道 (朝日文庫)

街道をゆく 11 肥前の諸街道 (朝日文庫)

しばらく前に読んだので、すでに記憶がぼやけつつある。
佐賀や長崎には行ったことがないので、いつか訪れたい。

京都は何度か行ったことがあったが、嵐山には行かなかった。
司馬遼太郎が食べた「森嘉」の豆腐は今もあるだろうか。


仙台は一度ドライブで行ったことがある。
この本は1985年に出ているが、すでに仙台駅前にはペデストリアン・
デッキができている。よほど設計がモダンだったのだろう。

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)

黄金を抱いて翔べ (新潮文庫)

  • 作者:薫, 高村
  • 発売日: 1994/01/28
  • メディア: 文庫

黄金を抱いて翔べ」の読後感は、松田優作の「蘇える金狼」みたい
だった。ただし「蘇える金狼」はヘテロセクシャルだが「黄金を抱いて
飛べ」はBLである。
こんなに詳細に銀行強盗の手口を書いていいのかしら、とも思うが、
肝心なところはぼかしているのだろう。
でも、どうやって取材したのか知りたい。





ファミマの「おかあさん食堂」という名前は無意識に女性の
役割を押し付けたものだからやめてほしい、という訴えに
対する騒動を見た。


どのくらいの女性が、この名前について不快感を持っているのか
知りたいのだが、とても多いのならファミマも再考すべきかも、
と思う。多い少ないの問題ではないと言われるだろうが。


この問題に付随して、コンビニに成人向けの本を置くのを
やめてほしいという運動もあった、という話を読んだ。
ああいう本はネットにアクセスできない人のためのものだから、
早晩なくなるものだと思うが、東京オリンピックの前に置かなく
なるらしい。


これらのフェミニズム運動で引っかかるのは、やめてほしいという
根拠が個人の不快感だからだ。


(私は口をつぐめと言っているわけではなく、嫌な思いがあったら
どんどん発言するべきだと思っている。
ただ、その発言が世の中に受け入れられるかどうかは別だし、
長い時間がかかる場合も多いだろう)


例えば私がネトウヨなら、韓国人が旭日旗を見ると不快だから
撤去しろと言ってくるのと同じだ、と反発するだろう。


不快感が根拠だと、あらゆることにケチをつけられるのではないか、
という恐れを抱く。
もちろんフェミニズム運動の人にはそんな意図はないだろう。
けれども少数の不快感が正義たりえるのかは、ちびくろサンボ
絶版事件を見るに疑問が残る。


一方で、トルコ人がトルコ風呂という名称をやめてくれと言ったので
ソープランドになった事例もあって、不快感を表すことで世の中が
動いたこともあるし、支那という言葉は普通は使われなくなった。


ある人の不快感が受け入れられるかどうかの線引きは
そのときの社会状況によるのだろう。
ただ、フェミニズム運動の原動力になっている不快感は、
いまのところ反発のほうが大きいようである。


禁酒法がマフィアを太らせ、行き過ぎたポリコレがトランプ大統領
誕生させた、というのは言い過ぎかもしれないが、フェミニスト
対する恐怖はミソジニストをより意固地にさせている可能性はある。
私もそのひとりだ。

*[本]涼宮ハルヒの直感

ミステリ小説はさっぱりなので、素直に読んで素直にへぇ……と思った。
メタミステリ小説とでも言うべきなのだろうか。
キョンの語りが地の文なので、実際に発言したのか心の中だけで考えた
ことなのか区別がつかない。それもメタミステリ小説の仕掛けなのかも。



涼宮ハルヒ」シリーズの9年半ぶりの文庫本だそうで、他人事ながら
作者はその間どうしていたのか気になった。


というか、探偵のキャラクターとして、かつて大ヒットラノベを書いて
そこそこお金がある暇な男性、というのはアリなのではないか、と。


たしか浅見光彦は兄が警視庁に勤めているルポライター、という設定
だったと思うが、いまの世の中でルポライターというのは食えていける
のかどうか疑問だ。


じゃあユーチューバーというのはどうかと思ったが、いまひとつ知的な
イメージがない。


最近のミステリ小説の探偵は、どういう設定が多いのだろうか。
過去に大ヒットがあるラノベ作家、というのはいるのかしら。

歳をとって、世の中についていけなくなったなぁ、と思う。

いや、お前は今まで世の中についていけていたのか? という疑問は

当然あるわけだが、では、世の中についていける、とはどういうことか。

 

ひとつは流行に乗れることだ。

今だったら「鬼滅の刃」の映画を見たりマンガを読んだりすることだろう。

これはクリアできている。

しかし、もともとアニメやマンガが好きだから当然なのであって、流行とは

これまで興味がない人も巻き込まれることを言う。

だとしたら、タピオカとかそういうものに乗れなかった私は、すでに世の中に

ついていけないことになる。

 

音楽なんかも、もうよほどのヒット曲でないと耳にしないし、あまり興味も

ない。たまたまアニソン好きなおかげで、大ヒット曲も知っているのだが、

歳をとってくると自分が若いときに聴いていたものに回帰していくのでは

なかろうか? 

 

流行に乗るということは、たいてい流行を追いかけることで、そういう作業に

疲れてしまうのも老化のひとつかもしれない。

 

ただ、これだけ細分化された社会で、何が主流かという問いもあまり意味が

なくなってきつつある。人口ピラミッドボリュームゾーンで流行している

ことが主流というなら、団塊の世代か第二次ベビーブームあたりだろうけど、

そうではなかろう。

 

 

もうひとつは、多くの人が当たり前に使っているものが使えるかどうか、

ということだと思う。今ならスマホだ。

私もガラケーからスマホに変えたものの、そのポテンシャルをほぼ発揮

できていない。フリック入力より、デスクトップPCでキーボード入力して

いる方が楽だ。動画もPC上で見る。

そもそもあんまり外に出ないし友達もいないからな。

 

これは、科学技術が常に何かしら新しいものを生み出している社会だから

発生するものであろう。

流行はどの時代にもあったと思うが、科学技術的なものを扱えるかどうかは

近代に入ってからの老化現象ではなかろうか。

 

おそらくいまスマホを使い倒している若者も、初老になったときには別の

技術の習得に苦労するはずだ。

もしそうなっていないとしたら、科学技術が停滞しているか、より高度に

なって習得の苦労すらなくなっているか、どちらかだろう。

 

 

日本を仕切っているお爺さんたちは、スマホで動画を楽しんだりして

いるのだろうか。エクセルを使ったことはあるのだろうか。SNS

アカウントを自分で登録したことはあるのだろうか。

 

老体に鞭打ってそんなことをしなくてもいいのかもしれないが、世の中に

ついていけなくなったことを開き直らないようにしてほしいものだ。

それが保守ということなのかもしれないが。

 

*[本]街道をゆく25 中国・閩のみち

街道をゆく 25 中国・びんのみち

街道をゆく 25 中国・びんのみち

閩(びん)とは現在の中国福建省周辺の地域のことを言う。
ここを旅した司馬遼太郎は、わりと気ままに話題をふっていて、
中世から近世の貿易のことや、その船で使っていた錨のことなど
多彩な話で盛り上げる。


ちょっと面白かったところを抜き出すと

 かといって、福建省が日本の漢音の故郷なのかとなると、
それはちがっている。以下、誤解がないよう、日本の漢音に
ついて触れておきたい。ついでながら、漢音の音じ方を、
ふつう
「字音(じおん)」
という。まず日本語の字音についてのべる。
いうまでもないことだが、日本漢音には、呉音と漢音がある。
最初、呉音が渡来した。たとえば、
「正月(しょうがつ)」
という。これは呉音である(漢音なら、むろんセイゲツ)。
元旦も呉音で、ゲンタンとはいわない(ただし元日といった
ときには、呉と漢がまじっている)。「明けの明星(あけの
みょうじょう)」も呉音。大阪に明星(めいせい)高校という
カトリックの学校があるが、メイセイは漢音である。明治の
キリスト教は、呉音をきらった。理由は、呉音が主として
仏教経典の音で「坊さんよみ」ともいわれていたからである。
このためキリスト教は徹底的に漢音を用いた。聖書は、呉音--
坊さんよみ--なら聖書(しょうしょ)だが、むろんセイショ。
「関西(かんさい)」の西は呉音である。大阪の私学の関西大学
むろん土地の慣習音どおりカンサイだが、キリスト教系の
関西学院大学にかぎっては、呉音をきらい、カンセイという。
(p27-28)

なぜ関西学院大学カンセイと言うのか、謎が解けた。



あと、福建省の農村の焼き畑の話になったとき、日本の焼き畑に
ついての話題になり

 焼畑の法には、二通りあるという。

 最も普通なのは、まず畑にしようとする山に行き、喬木は
 木にのぼって枝を下ろし、灌木は根本から伐ってねかし、
 その年はそのままにして乾燥をまつ。

つまり、最初の年は、高い木を丸坊主にしたり、灌木を伐って
乾燥させたりするだけでおわる。
(中略)
 もう一つの方法というのは、地味のいい山地にかぎる。
春から夏にかけて樹木を伐り、夏の終わりに火を入れ、あと、
ソバをまく。このやり方を夏焼という。
(p87-88)

ハロプロのアイドルBerryz工房に夏焼という珍しい名字の
メンバーがいたが、もしかしたら彼女の名前の由来は
焼畑の土地から来ているかもしれない。
どうでもいい話で申し訳ない。

NHKBSプレミアムのドラマ「一億円のさようなら」を見終えた。

わりと上川隆也の演技力で支えられていたような気がする。

主人公夫婦を、若いときと年をとったときのそれぞれにキャス

ティングしていて、最終回でそれがうまくはまる演出があって

良かった。

 

しかし、なぜ武田真治だけは若いときと年をとったときの両方を

演じたのか、疑問がある。

いや、疑問といえば、なぜ主人公の妻は武田真治と付き合うように

なったのか、最終回の日記でも明かされていない。

ちょっとした気の迷いだったのだろうか。

 

主人公が故郷に戻って手巻き寿司屋を始めるあたりからは、

このドラマどこに行くんだろう? と不安になったものだが、

どうもビジネス書っぽいニュアンスが感じられて、原作は

そういう小説だったのかもしれない。

*[本]街道をゆく24 近江散歩 奈良散歩

前回がイベリア半島紀行だったので、箸休め的な感じになっている。
だから「散歩」なのか。
前半は滋賀県近江八幡彦根のあたりを、後半は奈良の東大寺
散策して、思うさま薀蓄を語っている。


ちょうど大河ドラマ麒麟が来る」で金ヶ崎の戦いをやっている
ところだったので、浅井長政がどういう人物だったのかを解説
してあるところは面白かった。


後半に、東大寺の修二会の見学をしていて、誰が始めたのかとか
どういう役割を担った人がいるのかが分かった。
奈良時代に実忠というお坊さんが始めた修行が、1200年以上も
続けられている。よく途絶えなかったものだ。


10年ほど前に奈良を訪れたが、また行きたくなった。
早くコロナ感染が収束してほしい。