*[映画]不思議な国でアリスと/国宝
サービスデーなので映画のハシゴをしました。
夕方からの回で「不思議な国でアリスと」、レイトショーで「国宝」。
「不思議な国でアリスと」は、丁寧に作られていてよくできて
いたと思うけど、私の中にある「不思議の国のアリス」の知識が
ぼんやりとしているせいで、本家からどのように換骨奪胎している
のかがよく分からず、結果的にあまり楽しめない作品になって
しまった。申し訳ない。
おそらく、亡くなった祖母が作ったヴァーチャルなテーマパークに
テストプレイヤーとして参加する、という設定なので、どうしても
迷い込んだ世界から脱出しなければならないという動機が薄く、
ストーリーを引っ張る力が弱かったのでは、と思う。
白ウサギに奪われたスマホを取り戻す、という動機はあるものの、
切迫したものではないし、それがうまくいかない就職活動と
結びつくかというと、なんだか曖昧だ。
それから、冒険のバディとなるアリスも、やはりこれといった
目的がないまま主人公といっしょになって行動しており、
もしかしてアリスがいなくても成立するのでは? とさえ
思ってしまった。
いや、この作品はもっと評価されるべき、という人の意見を
ぜひ聞いてみたい。
「国宝」はまだ観客がかなり入っていて、評判に違わぬ出来だった。
原作の新聞小説は読んでいたものの、ほとんど忘れてしまっており、
あの長い物語をよくまとめたな、と感心した。
3時間かかるのも納得だった。
ただ、これも歌舞伎に詳しくないせいか、深いところまで楽しめた
とは言えず、詳しい人の解説を待ちたいところだ。
実在の歌舞伎役者のエピソードをどのように変えて物語に落とし込んで
いるのか、とか、演目の意味とか、そういうところを詳しく。
ちなみにBL界隈のお姉さま方は「国宝」をどうご覧になったのかも
知りたい。あまり刺激にならなかったのか、それとも同人誌を書く
ぐらいは刺さったのか。
それにしても、なんで松竹はこの小説を映画化しなかったのか。
いくらでも本物を使えるというのに、実にもったいないことを
した。
*[映画]劇場版 鬼滅の刃 無限城編 第一章
公開1週間後の18時半の回で5割の入り。大ヒットだ。
私の隣に幼児3人連れの親子が座って、子どもはほとんど
映画を見ず、ポップコーンを食べて最後の方は寝ていた。
映画は素晴らしい映像だし、構成も見事だった。
あとでマンガを読み返して比べてみると、CGで描かれた
無限城の緻密さがすごくて、アニメ化ならではの迫力が
あった。
「鬼滅の刃」では一貫して、弱者を踏みにじった者や
己の欲望だけを肥大させた者が鬼となって、鬼殺隊に
殺されている。
世相を反映しているとすれば、現実の社会にそのような
人間が増えているからだろう。
正直、私の隣の席にいた幼児たちに、ちょっとイラッと
してしまった。映画に集中できなかったからだ。
しかし、「鬼滅の刃」のメッセージは、弱者に優しく
しなければならない、だ。
私は映画館を出たあとで反省した。
あの子たちは映画をほとんど憶えていないかもしれないが、
夏休みのいい思い出になったらいいな。
*[映画]小林さんちのメイドラゴン さみしがりやの龍
二日目のレイトショーで観客は15人ぐらい。
冷房で体が冷えてしまったが、心は暖かくなる映画でした。
今回はカンナ・カムイと父親の関係がメインテーマになっている。
どうやらドラゴンには人間のような愛情は欠落しているらしい。
他者の心を想像できなくて社会が形成できるのだろうか?
人間は下等で愚かだと見下しているが、それは個体の強さだけで
判断してないか? と思うのだけれど、どうなのだろう。
ずっとこの作品で引っかかっているのは、なぜ小林さんは
女性キャラクターなのか、ということだ。
引っかかるという言い方はおかしいな。
過去の同じような設定の作品だと、小林さんに当たる
キャラクターは若い男性が多いので、それに慣れてしまった
からだろう。
むしろ、小林さんを女性キャラクターにしたから、メイドラゴンは
名作になったと言える。
いや、女性キャラクターというよりも中性に近いかな。
それでも、男性キャラクターだとトールに対する関係がちょっと
性愛に振れてしまいそうで、物語のピントがボケるのだ。
中性っぽい女性にしたことで、異種族と人間の関係に焦点が合う
のではなかろうか。
そういや男女のキャラクター配置でいうと、メイドラゴンは
母親がほぼ出てこない気がする。
ドラゴンの社会が超家父長制的だからだろうか。
カンナも小林さんのことを「お父さん」と位置づけていて、
「お母さん」ではない。なぜ?
もしかしたら、メイドラゴンは母親をあまり必要としない
世界を描いているのだろうか。
テーマ的には、家父長制に反対する作品だと思うのだが、
人間社会で生活するドラゴンたちは、女性どうし、男性どうしで
仲良く暮らしており、例外はルコアだけだ。
極右ネトウヨが理想とする“伝統的”な家族はひとつもない。
愛情がよく分からない父親のもとを離れて、カンナは再び
小林さんちに戻って来る。
これは新しい家族観と言えるのかもしれないが、極右ネトウヨは
パヨクだと難癖をつけるかもしれないな。
■
去年の春ぐらいから、アンテナがどうかしたのか、私の部屋のテレビだけフジテレビ系列のテレビ愛媛が受信しにくくなった。
雨が降ったりしたらほぼ映らない。
困ったのはノイタミナのアニメが見られなくなったぐらいだろうか。
競馬中継はBSフジで見られるし、G1レースはNHKでもやってくれる。
つまり、私個人としては、長時間記者会見をしようが、日枝久が生きている限り企業体質は変わらないのでフジテレビは潰れてほしいのだが、それとは別にちょっと考えたことがある。
今回の問題は、フジテレビの女性アナウンサーが意に反して芸能人に提供されたことにある。おそらく昔からやっていただろうし、被害者も加害者も仲介した社員も大勢いるのだろう。第三者委員とて、全貌を明らかにはできまい。
加害者がなぜプロの娼婦を呼ばないのかといえば、面白くないからである。
みんなの憧れの女性アナウンサーを無理やり従わせることに自らの権力を
実感し全能感を得られるからだ。
ということは、相手が嫌がれば嫌がるほど興奮するわけである。
↓
ここで確認しておきたいのは、女性は好きな相手としかセックスしたく
ないのか、ということだ。
結婚した相手や付き合っている人だけに身体を許す、という女性は
どのくらいいるのだろうか?
性交渉の相手を特定の人に限定するのは、妊娠や性病感染のリスクを
最小限にするためだろう。
あるいはキリスト教的なモラルが浸透した結果かもしれない。
一方で、俗にヤリマンと言われるような、多くの人とセックスすることに
抵抗がない女性もいる。恋愛感情もなく、ただしてみたいから
気に入った人とする、という女性もいるだろう。
私が知りたいのは、貞淑とヤリマンの間のグレーゾーンの分布である。
生活のための売春のような悲しい場合は除外して、いわゆるフリーセックスを
実行している人はどのくらいいるのだろうか、ということだ。
↓
フジテレビが存続するならば、企業体質は変わらないだろうから、これから
女性アナウンサーを採用するときは、セックスに抵抗のない人を選ぶべき
だろう。「イケメンとやれるの? ラッキー」ぐらいに思う人をアナウンサーに
して、視聴率のためにどんどん芸能人に提供すべきである。
いや、提供というとコンプライアンス上ダメだから、自由恋愛と称すべきか。
たまたま同じ部屋に芸能人と女性アナウンサーがいて、そのとき二人は急に
恋愛感情を抱き性交し、部屋を出るときはもう別れている。
ソープランドと同じ理屈である。
これだと抵抗する女性を征服する欲望は満たされないが、そこは女性アナウンサーも
そういうプレイだな割り切って、と抵抗するふりをすればよろしい。
加害者も被害者もいない世界の出来上がりだ。何しろ大人同士の恋愛なのだから。
これなら「私の身体は私のものだ」というフェミニズムにも合致しよう。
たくさんのイケメンとセックスを楽しみたい、という女性の自由を尊重すべき
でしょうから。
フジテレビの女性アナウンサーをロールモデルとして、気に入った相手と
どんどんセックスする女性が増えれば、結婚という制度に縛られた社会は
新しく進化するだろう。
もっともそれは美男美女だけが楽しむ世の中になりそうなのだが。
*[映画]がんばっていきまっしょい
公開6日目のレイトショーで観客は6人ぐらい。
そこそこ良い出来だったので、こんなものか。
モデルになった高校のOBだし、ロケ地の近所に住んでいるので
美しく風景を切り取ってもらえてうれしかった。
ここからは個人的に不満な点をいくつか。
「がんばっていきまっしょい」は、ダサい制服と方言あっての
物語だと思うので、可愛いセーラー服と標準語にしたのは
大きく減点だ。
もっとも地元の人以外はどうでもいいとは思うが。
尺の関係で語れなかった部分も多かったのはわかる。
けど、普通に眺めていると悦子が面倒くさい女の子にしか
見えなかった。恋愛をからめるなら、もっと踏み込んでも
よかったのかも。
大人とのからみがほとんどない。顧問の老先生はほと
喋っていないし、親兄弟も出てこない。
5人の女の子のキャラクターだけで描こうとしている
ので、深みがないのでは、とも思う。
↓
やはり田中麗奈主演の実写映画が一番よかったのでは
なかろうか。1998年ということは26年前か。
リバイバル上映をしたらよかったのに。