*[本]街道をゆく21 神戸・横浜散歩 芸備の道

中国紀行がボリュームもありやや重かったのに対し、21巻は気軽な旅で
あっさりと読めた。


「芸備の道」では、広島県の三次まで出かけている。
あるお寺に行ったとき

無数にしだれた枝から雨水が糸のようにしたたっていて、葉桜とはいえ、
十分風情があった。その根本に立札が立っていて、


赤穂浪士
大石良雄
手植の
 枝垂桜


と、四行にわけて書かれていた。立札の脚には「三次市役所」とある。
市の教育委員会もその史実がないことは知っているにちがいないが、
大石が三次に来ようと来まいと、歴史の根幹にかかわるものではないから、
伝承のほうを重んじているのであろう。器量人の態度といっていい。


 ただ一説があって、この伝承は古いものではなく、昭和初年に創作
されたものだという。市の商工会議所の人が、三次にはこれという
観光資源もないから、鳳源寺境内に古いしだれ桜があるのを幸い、
あれを大石良雄の手植にしてしまえ、ということであったというのである。


 これも来歴としておもしろい。ただし、その創作のいきさつの
ありのままを説明板に書くほうがいい。昭和初年当時、すでに
観光資源の開発という思想があったことがわかるし、それに
当時の観光資源というのは、中世末期に高野聖たちがさかんに
つくってまわった弘法大師の奇蹟の場所と同様、そのたぐいのもの
であったということもわかるのである。さらに当時は、史実よりも
伝承のほうが重んじられたということもわかっていい。『古事記
日本書紀』に書かれた“神代”の伝承が、そのまま「国史」として
小、中学校で教えられていた時代なのである。
(p131-132)

なんだか「椿井文書」を思わせるような偽の史跡だが、現在は
どうなっているのだろうか。

*[映画]劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン

古き良き日本映画の伝統を受け継いでいるのは、実は京アニではなかろうか。
難病の少年とか、雨の中で号泣する女性とか、かつてモノクロの邦画で定番
だったものがストレートに描かれている。
もし実写だったら古臭い手法に見えてしまうかもしれないが、美しいアニメ
だとそれが分からなくなる。
1950年代の邦画(特に松竹)に詳しい人なら、いくつも類似点を指摘できる
のではなかろうか。


初見の人にも分かるように、序盤でTVシリーズのおさらいを挿入しつつ
泣けるエピソードを挟んでクライマックスに持っていく、安定のシナリオと
演出だったと思う。
しかも、TVシリーズ屈指の泣けるエピソードである亡き母親からの手紙の
話を折り込み、時系列を巧みに操る脚本は神業と言えよう。


エンドロールで、犠牲なったスタッフの名前を見ると、これからの京アニ
心配になってくるが、再び傑作を世に送り出せることを信じて待ちたい。

米国のギンズバーグ最高裁判事が亡くなった。

これでリベラル派の判事が減って、トランプ大統領が保守派を

任命するらしい。

リベラルと保守のバランスが、という話の前に、そもそも判事が

リベラルか保守かで判決が違うのはどうなんだろう? 

これは法律を解釈する人間のバイアスを認めていることになる。

判事の最終的な正しさを担保するものは何なのだろうか。

 

米国は分かりやすくリベラルか保守か明らかにしている。

日本はどうなのか。たしか安倍政権のときに大幅に保守派を

指名したという記事を読んだことがある。というか、そもそも

リベラルはほとんどいなかったのか。

他の国はどうなっているのだろう。

 

結局、裁判官のお気持ち次第で解釈が大きくぶれるのであれば、

その制度には欠陥があるのではなかろうか。

むしろAIに裁いてもらった方が公平なのでは、と思うのだが、

それは危険な考え方なのだろう。

 

*[本]性格とは何か

心理学でいうパーソナリティを解説した一冊で、私にとってはやや
難しかった。統計を学ばないとちゃんと理解できない気がする。


ただ、世間一般で語られる血液型や星座のような類型はあまりにも
雑だし学問ではない。
心理学では、ビッグファイブと呼ばれる5つの次元で分析している
そうだ。RPGの「すばやさ」とか「ちから」などのパラメーターの
ようなものか。


この分析方法で統計処理すると、国や地域によって違いが見られる。
なぜそのような違いが見られるかは明確に断定はできないが、それが
偏見や差別に利用されることもある。気をつけたい。

 もうひとつの関心は、世の中全体に情緒不安定的で活発さに欠け、
自尊感情が低下するような変化が起きたとき、そこから何が起きる
のかという問題である。


 人間は基本的に、ポジティブな自己認識をもちたいと動機づけられる
ものである。自分のことを悪く言われるよりは褒められたい。無視
されるよりは認めてもらいたい。劣った人間だとみなされるよりは、
優れた人間だと思われたい。このような気持ちは、多くの人がもつ
ものではないだろうか。


 日本全体がこのような状態になったときに生じるひとつの現象が、
「日本はすごい」と思いたい気持ちなのかもしれない。日本は常に
海外から注目を集めており、日本はアジアの中でも特別で、日本は
ほかの国にない技術をもっており、日本の自然はほかの国にはない
美しさがある……。いつからか、テレビ番組の中でこのような
メッセージが増えてきてはいないだろうか。


 ここでは存在脅威管理理論という考え方が、興味深い洞察に
つながると考えられる。私たちは、死を避けることはできない。
この死を避けることができないという事実は、私たちに脅威を
もたらす。その脅威を和らげるために、人は宗教や芸術などを
拠り所にしようとする。そして自尊感情を高めることも、死の
脅威を和らげることにつながる。(中略)


 ところが、日本人全体の自尊感情だけでなく全体的にポジティブな
自己認識は、なかなか高まってくれない。それはおそらく、私たちの
文化の中に、ポジティブな自己認識を高めるような仕組みが不足して
いるからではないだろうか。(中略)そこに輪をかけて、経済を
中心とする社会的な停滞が襲いかかってきた。


 そんな私たちが死への恐怖に直面すると、何が起きるのだろうか。
そこでは、自尊感情以外に死の恐怖を和らげる仕組みが必要になる。
そのひとつが、自分自身をより大きな枠組みと同一視することである。
そして、その大きな枠組みへの優位性を主張することで、自尊感情では
まかないきれない脅威への対処をしようとする。それが「日本はすごい」
また「他国よりすごい」(中略)という思いになり、さらにそこから
「他国は日本よりも劣っている」「日本を批判するなんて許せない」
という認識へとつながってはいないだろうか。


 もしかしたら、多くの人々が死への恐怖に直面させられた東日本
大震災以降に、日本のすごさを喧伝するテレビ番組が次々と作られて
いったことも、このことを反映しているのかもしれない。そうだと
したら、それは、自分たちを安心させ、心地よくさせるための
ひとつの反応なのだろう。(p144-146)

NHKのBSで再放送されていた朝ドラ「はね駒」を見終えた。

当時の斉藤由貴のファンだったので、浪人しているときに

見ていたはずなのだが、この年になって見返すとほとんど

憶えていなかったことに気づいた。

そもそも夫役が渡辺謙ということさえ失念していたのだから、

何を見ていたのやら。

 

まだ男女共同参画社会という言葉が出てくる以前の1986年の

作品ながら、女性の進学や就職について先進的な生き方を

した人物をモデルにしている。

あまりに進歩的すぎる部分は、母親役の樹木希林がビシッと

抑えつけていて、脚本の目配りもよい。

その樹木希林沢田研二が共演するキャスティングも憎い。

 

おしん」もそうだったが、妹が嫁いだ先の農村で嫁いびりが

あって不幸な目に遭う話があって、当時は農家の非近代性が

怨嗟の的になっていたのだろう。

 

三陸地震の描写は、東日本大震災を予見するようなところが

あって驚いた。名作はそういうところがあるのかもしれない。

 

子役の演技は今の水準からするととても低いのも気になった。

というか、いまの子役が上手すぎるのだろう。

普通の子供が受けていたオーディションに、劇団の子供が

やってくるようになったのは90年代あたりからなのか。

 

ドラマの内容はわりとコメディタッチなところが多かったのに、

タイトル音楽が不思議なほど重厚だったのも謎だ。

 

*[本]レディ・ジョーカー

レディ・ジョーカー 上 (新潮文庫)

レディ・ジョーカー 上 (新潮文庫)

  • 作者:薫, 高村
  • 発売日: 2010/03/29
  • メディア: 文庫
組織にがんじがらめになっている人、競馬が好きな人が読むと
夢中になれるのではなかろうか。
私はどちらでもないから、最初からお客さんではなかったのだな。


だから、ずっとおっさんの愚痴を聞かされているような感じがして
ページをめくるのがきつかった。
大企業の社長や新聞記者や刑事のディティールがすごくて、みなさん
こんなに忙しくて寝る暇があるのですか、と心配になった。


ただ、暇つぶしに「チボー家の人々」を読むような刑事がいるもの
だろうか、と疑問に思った。合田刑事はキャリアではないはずだが、
趣味はバイオリンだったり、なぜかハイカルチャーを身に着けている。


一方、「合田」の対位法として「半田」と名付けられた刑事は、仕事を
サボって競馬やパチンコをするキャラクターである。
彼が犯罪者の一味となって、最終的に合田と対決するのが終盤の山場だ。


おっさんの愚痴ばかり、と言ったのは、意図的に女性の内面がほとんど
語られていないからだ。
その象徴として知的障害者の「レディ」が描かれている。
大企業や警察・検察に対して、女性はレディのように排除されている
ことを伝えたかったのかもしれない。


いや、それは深読みのしすぎで、単にこの作品のベースがBL小説だから
かもしれない。
終章での合田と加納の関係を読んで、これそういう話だったの、と
驚いた。やはり私はお客さんではなかったのである。


最後まで読んでも、結局あのお金はどうなったのか、レディの父親は
どこに行ったのか、根来の死体は出てきたのか、などなど、分からない
まま終わったことが多くて消化不良だった。


全部書いてしまうと余韻がなくなるからだろうけど、もやもやした
読後感は否めない。


なぜか、これを読むと妙にキリンラガービールを飲みたくなったので
買ってきたのだった。

*[映画]はたらく細胞

アニメ「はたらく細胞」劇場版を見に行った。
観客は私を含めて3人。
座席は半分にガムテープで☓印がつけられ座れ
なかった。


映画は乳酸菌を巡る旅、という感じで、いっそ
ヨーグルトのメーカーと提携したらどうか、という
内容だった。
学習まんがっぽい話なので、ダレる場面もあった。


TV版の主役だった赤血球が乳酸菌を運ぶのは医学的に
正しくないのだろうか、ほとんど出番がなく、普通の
細胞がメインだった。
この役を演じた小林裕介はよかったけれども、テレビ
シリーズを見ていた人は物足りなかったのかも。


盛り上がる場面はがん細胞とのバトルで、早見沙織
演じる制御性T細胞がよかった。


来年1月からテレビ放送される話の先行上映だそうだが、
何話かに分割されてオンエアされるのだろうか。
それともテンポを重視してカットされるのかもしれない。


映画館に行ったのは2月以来だと思うが、映画泥棒が
アクション俳優のようになって格好良かった。
いつからあのバージョンになったのだろう。