お昼過ぎに納骨が終わった。

これで父の骨がお墓に入ったわけで、夏から続いた葬儀の

あれこれも一段落だ。

準確定申告も済ませたし、ようやくほっとできる。

 

しかし、自分の親の墓にはどのくらいの頻度でお参りする

べきなのか。遠くにいる人は帰省したときでいいと思うが、

近所なのでそうはいくまい。

 

といっても、月命日ごとに訪れる、というのも正直しんどい。

やはりお盆とお彼岸ぐらいでいいのか。

 

 

ツイッターで、小学生の算数における掛け算の順番が話題に

なっていた。

本来は交換法則で順番を入れ替えても答は変わらないのだが、

文章題から立式するときにちゃんと理解しているかどうかを

確認するために、何に何をかけるか、を厳密に定めて、間違って

いたら答は合っているのにバツをつけるという。

 

じつにバカバカしい話で、教え方のひとつではあるけれども、

そうでないとダメというのは教師の都合でしかあるまい。

 

掛け算の順番に固執している教師は、おそらく漢字の止めとか

払いにも厳格なはずで、自分がきちんと教え込まないと子供の

能力が低下する、と信じているのだろう。

 

これは子供を工業製品のように考えているからで、欠陥がない

ものを出荷しなければ製造者責任になる、というのと同じである。

 

私は、そこまで責任を背負い込むことはないと思う。

学校で習う以外でも何らかのことは学び取るものだし、どこかで

誰かが補正してくれる、と考えたほうが楽ではないか。

 

もちろん、いいかげんにやればいいと言っているわけではない。

きちんと教えるべきことは教えなければならないが、専門家から

おかしいと言われることを数学の素人である教師が意固地になって

墨守するのは無意味だろう。

 

どうかもっと柔軟に教えていただきたいものである。

 

アニメ「ヴィンランド・サガ」を見ていると、当時のバイキングの

残虐さがこれでもかと描かれている。

日本でも、鎌倉時代の武士が同じような感じだったと思う。

人類の暴力は現代になってよほどマイルドになったのだろう。

でも、アフガニスタンあたりの人は1000年ぐらい前の人々と同じ

ではなかろうか。

 

声優の井上真樹夫さんが亡くなった。

私はやはり「ルパン三世カリオストロの城」の石川五エ門の声が心に残る。

「可憐だ……」のあとの

「今宵の斬鉄剣は一味ちがうぞ」

に痺れたものだ。

 

ひとりの名声優が亡くなることは、世界に一つしかない楽器が失われる

ことに等しい。

 

合掌。

 

*[映画]ジョーカー

映画の日にようやく「ジョーカー」を見ることができた。
評判は聞いていたが、これほど重い作品とは思わなかった。


ロバート・デニーロが登場するあたりから、これは「タクシードライバー」を
なぞっているのだな、ということは分かったけれど、まさかここまで主人公が
転落していくとは想像できなかった。


私はこの映画を見ながら永山則夫を連想した。


はたして米国人はこの作品をどのように見たのだろうか? 
敢えてこれをぶつけて商業的に成功したのがすごいけれど、富裕層にこの
叫びが届いているかは疑問だ。


そもそも、これはバットマンの枠組みで制作されているけれど、バットマン
登場しない。少年時代のブルース・ウェインが出てくるだけだ。
逆に「バットマン」のような正義とは何なのかが、塗りつぶされたところから
浮かび上がってくる仕掛けになっている。


これほど格差が広がり、福祉が切り捨てられた社会は、先進国と言えるのか、
という問いかけがあるように思えた。


そういえば、主人公のカウンセラーは福祉事務所の人も刑務所の人も黒人女性
だった。そこに隠された意味は何なのだろうか。

中曽根康弘の訃報に接した。

いろいろと評価が分かれているが、私が思い出したのは小池一夫原作の

劇画「I・餓男(アイウエオボーイ)」である。

 

I・餓男 1

I・餓男 1

 

 

初期の池上遼一の作画で、わりと荒々しい。

 

このマンガの中に、どう見ても中曽根康弘とおぼしき政治家が登場して

いる。政界の黒幕で、ものすごい悪役である。

小池一夫はなぜ中曽根康弘にそういう役をあてはめたのか、いまもずっと

謎なのだが、暴かれていない疑獄事件があったのかもしれない。

*[本]やはり俺の青春ラブコメはまちがっている 第14巻

分厚い最終巻をようやく読み終えた。
渡航朝井リョウの下位互換である、という私の印象は最後まで
変わらなかった。


あとがきを読むと第1巻は東日本大震災のときに出ている。
それから9年弱の時間を経て、当時高校生だった読者も、もう20代
後半だ。


作者本人も同じように歳をとっているわけで、最初の方の文化祭や
修学旅行の話あたりまでは、まだ濃密に高校生活のテイストがあった
けれど、クリスマス会やらプロムとかの学外行事になると、もはや
高校のイベントではなくなっていったように思う。


実際、主人公もそれらの準備を「仕事」と呼んでおり、作者のマインドが
高校生活から遠く離れてしまったことを物語っている。
逆説的にそのことが青春の儚さを浮き彫りにしているのではなかろうか。


12から14巻までで、ライトノベル的な面白さはほとんど失われていた。
それだけ内面の描写に力を入れたのだろうが、やはり力不足は否めない。
最終巻にサウナについて語る部分があって、ここだけは生き生きして
よかった。渡航の良さはこういうところにあるのだが、シリアスに
物語をまとめようとして削ぎ落とされてしまったのが残念だ。


ともあれ、これだけの巻数をかけてようやく雪ノ下さんがデレるという
のを見れただけでも良かった。
アニメ化でどう表現されるのか楽しみである。