*[本]初期仏教

初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書)

初期仏教――ブッダの思想をたどる (岩波新書)

中村元原始仏教と呼んでいたが、いまは初期仏教と言うらしい。
ブッダの教えが口伝され、それが書き写されたものが残っており、
それらを吟味して分析し、初期の仏教はどういうものであったかを
解説している。


かなり専門的な言葉がたくさん出てくるので、正直あまりよく
分からなかったけれども、人間の欲望と認識を分析し正しく生きる
とはどういうことかを教えるものだ、という流れは分かった。

 同時に、仏教は唯物論にもとづく道徳否定論を斥けた。古代社会に
おいて、死によって人間は無に帰し、死後の世界はないと人々が考える
なら、倫理よりも目先の利益が優先され、力の強い者が弱い者から搾取
する世界になってしまう。仏教を含め、古代インドでは、そのような
弱肉強食を「魚の法則」と呼んだ。


 死後を信じない人が圧倒的に多い近代社会で、罪人必罰の制度が
整備されていく理由はここにある。近代社会は、地上に自業自得の
制度を実現して、「罪を犯すと罰を受ける」という潜在意識を人々に
植え付ける。監視技術の向上に伴って、現代社会が監視社会へ向かう
のは、その意味で当然である。


 逆に言えば、確固とした倫理規範のない世俗的な社会が平和に
保たれるのは、高度な監視技術と強力な警察機構があるからであって、
部族社会の秩序にも、神の信仰にも拠らず、しかも、監視社会でない
世界を作ろうとするなら、個の自律は不可欠の条件になる。個々の
倫理的実践なくしては、そのような世界は実現しないであろう。


 古代インドには、言うまでもなく近代国家のような監視システムも
警察機構も存在せず、現代社会とくに今日の日本に比べ、治安は
著しく悪かった。そのような社会を前提として構想されている仏教の
社会論は、あらためて整理すると、次のような未来像を描いている。


 もし個の倫理的自律が崩れ、欲望に駆られるようになれば、また、
為政者が貧しい者の生活保障を怠れば、平和は乱され、人々が殺し
合う「武器の時代」を迎えるだろう。「武器の時代」を経て、その
教訓から個の自律が実現してはじめて、理想的為政者が再び現れ、
彼の下に諸国が自発的に統合して、世界がひとつになる。現代の
概念を借りて言い換えれば、世界政府の樹立である。


 現在、世界政府の実現を信じている人は、おそらくほとんどいない
だろう。しかし、第一次世界大戦後に国際連盟第二次世界大戦後に
国際連合が生まれた歴史を想起したとき、「武器の時代」を経て
世界がひとつになるという予言を、我々は古代人の夢だといって
笑うことができるだろうか。(p137-138)

長々と引用してしまったが、カントの世界政府の発想よりはるか
昔にこのような思想を生み出した仏教というのは、現代において
再読すべきものだと思う。



インドと中国のあいだにはヒマラヤ山脈があるので、積極的な
往来はなかった。
それでも中国人は苦労して仏教を自国に持ち帰った。


前から不思議に思っているのだが、逆に中国からインドに
持ち込まれた思想や技術はどのくらいあるのだろうか? 
古代中国文明の影響は、ヒマラヤ山脈に遮られてほとんど
伝わっていなかったのか、それともいくつかあるのか、
よく分からない。