前に、子供の体力が低下した、というニュースがあって、特にボールを投げる
能力が低くなっている、というデータが出ていた。
ニュースは、子供の体力低下はいけないことだ、というトーンで報じられており、
私もそうだなぁとは思ったものの、何かを投げる動作というのは、現代社会で
暮らしていて、そんなにあるだろうか、とも思った。
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私は球技が苦手な子供だった。
小中学生で球技が苦手というのは、なかなか厳しい生活を余儀なくされる。
あまり自己肯定感を得られない。
一説によると、小学生ぐらいまでにボールを持った運動をしていないと、
その後得意にはならないそうだ。
真偽の程は分からないが、明らかに苦手な子と上手な子に分かれるのは、
何らかの原因があるような気がする。
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ボールを投げる話でいうと、女子はたいてい苦手である。
俗に「女の子投げ」という言葉があるように、野球のボールをうまく投げる
ことができない。
たしか細田守監督のアニメ「時をかける少女」の、主人公がキャッチボールを
する場面で、そういう投げ方をしていたはずだ。
ちゃんとキャッチボールが成立していたから、厳密には「女の子投げ」では
ないのだが、男子とはちょっと違う投げ方ではあった。
なぜ「女の子投げ」になるかといえば、子供のころからほとんどボールを
投げていないからである。
どうして投げていないかといえば、別にボールを投げなくても普通に生活
できるし、誰にも叱られないからである。
同様に、そういう環境で育った男子も、ボールをうまく投げられない。
が、小中学校では、そういう男の子は最下層に落とされるから、なんとか
克服しようとする動機が芽生える。
なので、女子ほどボール投げが苦手な子は多くはないのだろう。
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古代から現代に至るまでに、何かをつかんで遠くに投げる動作が重要だった
ことはどのくらいあるのだろうか。
戦争のとき投石するのには役立つだろうが、他の武器が登場すればそれほど
活躍しなくなるような気がする。
近代になって手榴弾が登場したとき、再び強肩が重視されただろうけど。
現代だと、強肩が必要なのはプロのアスリートだろう。
そしてプロになれる人は、ほんの一握りだ。
なので、肩が強いにこしたことはないが、別に子供のボールを投げる距離が
多少減ったところで、何も慌てることはない。
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技術は我々を楽にするためにあると思うのだが、どうもお金儲けが大好きな
人は、技術で人を追い立てたいようである。
面倒な仕事は全部機械がやってくれて、国民のほとんどがニートになるのが
私の理想の社会なのだが、世の中は逆に、生産性を上げ続けて、人間を死ぬ
まで働かせている。
便利になって空いた時間を、本当はだらだらと好きなことに使えばいいのに、
その空いた時間にも仕事を詰め込んでいるのはなぜだろう?
体力低下のニュースは、無意識の部分にそういう生産性向上主義をはらんで
いるような気がするな。