Boaz2014-10-20

前に、子供の体力が低下した、というニュースがあって、特にボールを投げる
能力が低くなっている、というデータが出ていた。


ニュースは、子供の体力低下はいけないことだ、というトーンで報じられており、
私もそうだなぁとは思ったものの、何かを投げる動作というのは、現代社会で
暮らしていて、そんなにあるだろうか、とも思った。



私は球技が苦手な子供だった。
小中学生で球技が苦手というのは、なかなか厳しい生活を余儀なくされる。
あまり自己肯定感を得られない。


一説によると、小学生ぐらいまでにボールを持った運動をしていないと、
その後得意にはならないそうだ。
真偽の程は分からないが、明らかに苦手な子と上手な子に分かれるのは、
何らかの原因があるような気がする。



ボールを投げる話でいうと、女子はたいてい苦手である。
俗に「女の子投げ」という言葉があるように、野球のボールをうまく投げる
ことができない。


たしか細田守監督のアニメ「時をかける少女」の、主人公がキャッチボールを
する場面で、そういう投げ方をしていたはずだ。
ちゃんとキャッチボールが成立していたから、厳密には「女の子投げ」では
ないのだが、男子とはちょっと違う投げ方ではあった。


なぜ「女の子投げ」になるかといえば、子供のころからほとんどボールを
投げていないからである。
どうして投げていないかといえば、別にボールを投げなくても普通に生活
できるし、誰にも叱られないからである。


同様に、そういう環境で育った男子も、ボールをうまく投げられない。
が、小中学校では、そういう男の子は最下層に落とされるから、なんとか
克服しようとする動機が芽生える。
なので、女子ほどボール投げが苦手な子は多くはないのだろう。



古代から現代に至るまでに、何かをつかんで遠くに投げる動作が重要だった
ことはどのくらいあるのだろうか。


戦争のとき投石するのには役立つだろうが、他の武器が登場すればそれほど
活躍しなくなるような気がする。
近代になって手榴弾が登場したとき、再び強肩が重視されただろうけど。


現代だと、強肩が必要なのはプロのアスリートだろう。
そしてプロになれる人は、ほんの一握りだ。


なので、肩が強いにこしたことはないが、別に子供のボールを投げる距離が
多少減ったところで、何も慌てることはない。



技術は我々を楽にするためにあると思うのだが、どうもお金儲けが大好きな
人は、技術で人を追い立てたいようである。


面倒な仕事は全部機械がやってくれて、国民のほとんどがニートになるのが
私の理想の社会なのだが、世の中は逆に、生産性を上げ続けて、人間を死ぬ
まで働かせている。


便利になって空いた時間を、本当はだらだらと好きなことに使えばいいのに、
その空いた時間にも仕事を詰め込んでいるのはなぜだろう? 


体力低下のニュースは、無意識の部分にそういう生産性向上主義をはらんで
いるような気がするな。