性のタブーのない日本

古代から近世までの記録や文学作品で、日本人の性がどのように表現されてきたかを
概観する一冊である。
図録も数点あるので、文中で指摘されている部分がよく分かる。


男色の話になると筆がノリノリになるのが面白いのだが、私が面白いと思ったのは、
源氏物語にはBL要素もあるのでは、という部分だ。

 私の思うところ、平安期の女流文学の位置付けは少女マンガと同じです。女による
女のためのもので、男からは低く見られている。正式な真名(漢字)の文章に対する
女流のかな物語は、かつては「活字よりワンランク低い」と思われていた少女マンガに
対応します。日本文化の中にそういう流れがあるのを、「ない」と言ってしまえばない
ということになるだけですが、私は平安期の女流文学が少女マンガと同じところに存在
していると思ったので、『窯変源氏物語』にとりかかる前に「それがあっても不思議は
ないな」と思ってはいましたが、実際にあるとは思いませんでした。「それ」とはつまり、
男の同性愛−BL(ボーイズラブ)です。
(p156)

ここから藤原氏の親族関係の話になって、とてもややこしくなるので、できれば系図
つけてほしかったのだが、男が出世するために男と寝る、ということは普通に行われて
いたらしいので、じゃあ現代でもそうなのだろうな、と思ってしまった。



ひとつ引っかかるのは

 かつて、日本の男にとってオッパイというものは、子供がむしゃぶりつくものであって、
大人の男がしゃぶったり揉んだりするものではなかった。
(中略)
 「日本の男はオッパイに関心を持たない」ということはないと思います。オッパイ丸見えの
あぶな絵はいくつもありますから。しかし、昔の日本人はオッパイを性行為と結び付けなかった。
(p66)

という部分だ。


江戸時代までの日本人は女性のオッパイにはあまり興味がなかったようだが、
実際にセックスするときに無関心だったとは思えない。
乳首は重要な性感帯だし、女の方から吸って揉んでと言う可能性だってあっただろう。


たぶん、画像としてのオッパイはエロく見えるものではなかった、ということなの
でしょうね。
昭和の中頃までは、屋外で授乳させている女性が普通にいたが、誰もそれをエロいと
思わなかったし。



こうした近代までのエロスの表現と、現代のエロマンガの表現を架橋する人がいたら
面白いのだが、両方に詳しい人はほとんどいないのだろう。
どこかの暇な大学院生が書いてくれないものか。


あと、この本を読んだ猫猫先生の感想が聞きたい。