戦時中、落語家も招集されて前線に行ったという。
現地で落語家であることが分かると、請われて一席やったという。
これ、誰がどこに行って、どのくらい生還できたのかは分かるのだろうか。
古今亭志ん生や三遊亭圓生のように、慰問に行ったのではなく、あくまで
兵隊として戦地に赴いた落語家である。
はたして戦争中に笑いを求めた部隊と、そうでない部隊は、状況がどのくらい
違っていたのか、それともほとんど変わりはなかったのか。
あと、外国の軍隊にも芸人が招集されていたと思うが、彼らはなにか話芸を
披露したことがあったのだろうか。
それとも、そういうものは慰問する人々で間に合っていたのか。
特にこれという理由はないけれど、ちょっと知りたかった。