言語と芸

R-1ぐらんぷり2010を見た。
私がいちばん笑ったのは、エハラマサヒロの塾の先生のやつだった。


ピン芸人というと、米国では一般的でスタンダップ・コメディアンと
して主に漫談を披露している。
エディ・マーフィージム・キャリーなど、映画俳優になった人も枚
挙にいとまがない。


一方、日本では漫談という形式はあまり流行らない。
一時期、「間違いないっ!」のフレーズで長井秀和の人気が高くなっ
たこともあったが、2人で話す漫才の芸人の方が圧倒的に多い。


これは言葉の違いによるものではないか、と思う。


英語では、一人称が固定しており、一人で喋る芸に人気があるのに対
し、日本語では一人称は相手との関係で多数発生するため、誰かと喋
る芸が受け入れられやすい、という仮説である。


つまり、英語の一人称は I しかないが、日本語の一人称は、僕・私・
俺・拙者・自分・うち・わし・あたし‥‥など30以上ある。


英語は誰が相手だろうが、自分のことは I と言うしかない。
日本語は、相手の関係性によって自分のことをどう呼ぶかが異なる。
(と同時に、相手のことを呼ぶ二人称もたくさんあることになる)


これが話芸にも反映されているのではなかろうか。
ピン芸人英語圏に対して、漫才の日本語圏、ということが言えるの
ではないか、と。


世界の話芸と言語について、何か相関関係があるとしたら面白いのだ
が、誰か研究してほしいものだ。


ちなみに、落語は何かというと、一人でやる演劇である。
つまり一人の役者が多数の人間を演じ分ける芸だ。
漫談のような一人語りではない。