Boaz2015-02-25

「意識高い系」という言葉を聞くと、そういう言葉がない時代にも
同じような人はいたなぁ、と思う。


このネットスラングは、たぶん就職活動中の大学生から生まれたの
ではないかと推測する。
若者にありがちな自己顕示欲の現れだと思うが、多くはオッサンに
なるまでに治るのではないか。


評価は他人が下すものだから、口ばかりで大したことのない奴、と
認識されたら、あまりいいことはないと思うのだが、どうしても
やめられない事情があるのだろう。



ところで、意識高い系の「意識」とは、何に対する意識のことだろうか。


私が勝手に想像するに、理想ではないかと思う。


つまり、本当に意識の高い人は、自分が掲げた理想に向かって努力して
いるはずで、平凡な人間にとってはまぶしすぎる存在だ。


それに憧れてスタイルだけを真似る人を揶揄することで、間接的に
真面目に努力する人の足を引っ張っているのではなかろうか。



「必死やな」とか「真面目か」というのは、芸人のツッコミでよくある
ものだ。
が、笑いを生み出すために、芸人は必死になってやっているわけで、
芸能の文脈で使うのと、普通の人が使うのでは意味が違ってくる。


がんばっている人を、何もしてない人のレベルまで降ろすために揶揄する
ことは、卑怯というのは言い過ぎかもしれないが、気持ちのいいものでは
ない。


うまく言えないが、こういうマインドが若者全体に広がっているような
気がして、ちょっと心配である。


もちろん、我々のようなオッサンだって、さらに年上の老人たちだって、
他人の足を引っ張ってきたことには変わりないのだけれど、どこかで
真面目さを尊重する雰囲気はあったと思う。


真面目さを嗤うようになったのは、いつからだろう。