こんどの衆議院選挙は、日本が“資源のないアルゼンチン”のような国になる
第一歩ではないか、と思っている。
アルゼンチンの近代史を見ると、新自由主義経済を導入して、最終的には債務
不履行になっており、我が国が陥りそうな失敗をすでにやっているように感じる。
しかも、国民の不満をそらすためにフォークランド紛争を起こしており、これも
竹島や尖閣諸島で揉めているのと似ている。
↓
現政権が選挙に踏み切ったのは、多くの人が指摘するように、国民から白紙委任状を
得た、と宣言するためである。
選挙の手続きさえしておけば、あとは何をやってもかまわない、という詭弁を弄する
のは、橋下徹から学んだのかもしれない。
財界は、とにかく富裕層を固定して既得権益を守り、貧困層を永遠に奴隷として
働かせることを実現させるだろう。
財務省は、プライマリーバランスのためなら貧乏人が何人死んでもかまわない、と
うそぶいて、消費税を上げるだろう。
健康のためなら死んでもいい、というのと同じである。
自民党タカ派は、米国と同盟を結びつつ外交のフリーハンドを得たい、という矛盾を
抱えたまま、領土問題に固執していくだろう。
そして多くの国民は、このような危険性が予想できるにもかかわらず、投票を棄権する
だろう。特に積雪の多い地域の投票率は下がるはずだ。
↓
このまま自民党が勝てば、おそらく東京オリンピックをピークに、日本の戦後は終わる。
その終わりが急激なものか、緩慢なものかは運によるが、昭和・平成のような安全な
社会は一度途切れるだろう。
そこからどうなるかは、誰にも分からない。
生きて見届けたいが、果たして私の寿命があるかどうか。