なぜジブリは後継者が育たないのか

先日NHKで放送された、宮崎駿宮崎吾朗のドキュメント「ふたり」を
ようやく見た。これを見る前に映画「コクリコ坂から」を見ておかない
といかん、と思ったので、放置してあったのだ。


NHKのドキュメントを見ていると、親父も親父なら息子も息子で、こう
いう親子が同じ会社にいると、周りの人もやりづらかろう、と思った。


私は「ゲド戦記」で宮崎吾朗を完全に見限ったつもりだったのだが、「コ
クリコ坂から」は意外に面白く、ちょっと見なおした。


ただ、アニメーションの監督というのは、脳内からあふれ出る発想を絵
コンテに叩きつけるものではないか、と思う。
そんなにすらすら絵コンテを切れる人はいないけれど、資質としては、
イマジネーションが異常にないとやっていけないはずだ。


その点、宮崎駿は異常なイマジネーションの持ち主である。
原作なしのオリジナルアニメをひとりで何本作っているだろうか。
キャラクターや物語はもちろん、設定もほぼ自分でこなしている。
(いろいろパクッているという話は知っているが、それほど多くの素材の
インプットがあるということだ)
こんな人は世界に何人もいない。


一方、宮崎吾朗にはそんなイマジネーションがない。
原作ものを作るだけで精いっぱいである。
もちろん、原作をちゃんとアニメーションにするということはすごいこと
なのだが、「コクリコ坂から」の脚本は親父が書いている。
時代設定を1963年にするなど、あの脚本がないと「コクリコ坂から」は
成立しなかっただろう。


つまり、ジブリという会社のブランドを支えるには、宮崎駿のような天才
が必要なわけで、天才はそこらへんに転がっているわけではないし、いた
としてもジブリには来ないだろう。


もし天才のタマゴが現れたとしても、育成期間がない。
ジブリ印のアニメというのは、巨大な産業になっているために失敗が許さ
れない(ときどき失敗するけど)。
監督になるプレッシャーたるや、すさまじいものがあるだろう。


ジブリが低予算のテレビアニメの枠を取って、そこで若手の企画をどんど
んやらせてみれば、後継者候補が出てきたと思うが、そういうシステムは
宮崎駿が許さないような気がする。


スタジオジブリがこれからも存続すると仮定すると、いずれディズニーの
ように黄金期→低迷期を経て、ピクサーのような外部の血を入れて復活す
るのではなかろうか。


あるいは、宮崎駿の代で会社を縮小してアニメの製作は行わず、版権管理
だけをするようになるかもしれない。


いずれにせよ、私は宮崎駿が生きている時代を過ごせてとても幸せである。