高畑勲の世界

高畑勲の世界

高畑勲の世界

これは最近の猫猫先生の著作の中で、私にとって最も面白い一冊だった。
といっても、去年刊行されたもので、私も本屋でちらっと見たのだが、
そのときは買わなかった。


というのも、高畑勲は「つまんない映画を作る人」という印象しかなかった
からだ。
つまらないというと語弊があるが、娯楽性の低い、と言えばいいだろうか。


が、今年の春からBSでアニメ「赤毛のアン」が再放送されることになり、
ちゃんと見たことがなかったので、毎週録画していた。
すると、高畑勲はテレビシリーズの世界名作劇場でこそ本領を発揮して
いたのではないか、と思い、にわかに興味がわいて、松山のジュンク堂
向かったのだった。


おそらく入荷した当時の本が売れ残っていたのだろう。
初版本を手に入れて読んでみると、これはもっと広く読まれねばならない
のではないかと思った。


少なくとも、本書をたたき台にして、高畑勲の批評をすべきだろう。
いったいアニメ評論家は何をしているのか。



本書によれば、高畑勲は東大仏文科で大江健三郎と同級だったという。
あとがきでは

 さて、高畑勲と同年で同じ大学の同じ学科を出た大江健三郎は、むろん政治的に
疑問符のつく発言が多いとはいえ、西洋文学に関心を持ち続け、その作品世界を
豊かにしてきた。高畑の強要も、それに劣らないほどのものだが、『赤毛のアン
からあと、日本人を描くことに固執してきた観がある。次回作は『かぐや姫の物語
だというから、再び日本になるわけだが、私は高畑が、日本人を描くということに
固執しすぎたと思っている。あと二、三作は「世界名作」ものを作っても良かったし、
宮崎駿のように野放図に気ままに、国籍不明なファンタジーを作っても良かったの
ではないかと思う。

とあり、私もその通りだと思う。


たぶん、日曜の夜にやっていた「世界名作劇場」の影響は、私達が思っている
以上に大きかったのではないか。


児童文学から宗教的なイデオロギーを排除して、良質な作品を作ることは、
おそらく現在のアニメ製作環境では難しいだろう。
だが、学校の教科に道徳を加えるよりも、世界名作もののアニメに金を出した
方がよほどうまくいくのではないか。


そういえば、宮崎吾朗が「山賊の娘ローニャ」をやっているが、私はまだ
見ていない。
もしかしたら、世界名作ものを作っても、いまの子供たちは見向きもしない
のかもしれない。



あと、どうでもいいことだが、本書の132ページに「かわいい文学少女」の
話があって、そういうのはフィクションの世界にしかいない、という。


ならば、妄想の世界における「かわいい文学少女」の系譜というのは、どう
なっているのだろう? 
そもそも、その元祖はどの作品の誰なのか。「三四郎」の美禰子とか? 


現在だと「ビブリア古書堂の事件手帖」の栞子だろうか。でも25歳で少女と
いうのも微妙だ。
マンガだと「僕らはみんな河合荘」の河合律かな。アニメ化されたのも
よかった。


だが、いまや腐女子でない文学少女というのは、絶滅危惧種になっている
ような気もする。