
- 作者: 小谷野敦
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2013/03/23
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (5件) を見る
といっても、去年刊行されたもので、私も本屋でちらっと見たのだが、
そのときは買わなかった。
というのも、高畑勲は「つまんない映画を作る人」という印象しかなかった
からだ。
つまらないというと語弊があるが、娯楽性の低い、と言えばいいだろうか。
が、今年の春からBSでアニメ「赤毛のアン」が再放送されることになり、
ちゃんと見たことがなかったので、毎週録画していた。
すると、高畑勲はテレビシリーズの世界名作劇場でこそ本領を発揮して
いたのではないか、と思い、にわかに興味がわいて、松山のジュンク堂に
向かったのだった。
おそらく入荷した当時の本が売れ残っていたのだろう。
初版本を手に入れて読んでみると、これはもっと広く読まれねばならない
のではないかと思った。
少なくとも、本書をたたき台にして、高畑勲の批評をすべきだろう。
いったいアニメ評論家は何をしているのか。
↓
本書によれば、高畑勲は東大仏文科で大江健三郎と同級だったという。
あとがきでは
さて、高畑勲と同年で同じ大学の同じ学科を出た大江健三郎は、むろん政治的に
疑問符のつく発言が多いとはいえ、西洋文学に関心を持ち続け、その作品世界を
豊かにしてきた。高畑の強要も、それに劣らないほどのものだが、『赤毛のアン』
からあと、日本人を描くことに固執してきた観がある。次回作は『かぐや姫の物語』
だというから、再び日本になるわけだが、私は高畑が、日本人を描くということに
固執しすぎたと思っている。あと二、三作は「世界名作」ものを作っても良かったし、
宮崎駿のように野放図に気ままに、国籍不明なファンタジーを作っても良かったの
ではないかと思う。
とあり、私もその通りだと思う。
たぶん、日曜の夜にやっていた「世界名作劇場」の影響は、私達が思っている
以上に大きかったのではないか。
児童文学から宗教的なイデオロギーを排除して、良質な作品を作ることは、
おそらく現在のアニメ製作環境では難しいだろう。
だが、学校の教科に道徳を加えるよりも、世界名作もののアニメに金を出した
方がよほどうまくいくのではないか。
そういえば、宮崎吾朗が「山賊の娘ローニャ」をやっているが、私はまだ
見ていない。
もしかしたら、世界名作ものを作っても、いまの子供たちは見向きもしない
のかもしれない。
↓
あと、どうでもいいことだが、本書の132ページに「かわいい文学少女」の
話があって、そういうのはフィクションの世界にしかいない、という。
ならば、妄想の世界における「かわいい文学少女」の系譜というのは、どう
なっているのだろう?
そもそも、その元祖はどの作品の誰なのか。「三四郎」の美禰子とか?
現在だと「ビブリア古書堂の事件手帖」の栞子だろうか。でも25歳で少女と
いうのも微妙だ。
マンガだと「僕らはみんな河合荘」の河合律かな。アニメ化されたのも
よかった。