たぶん米国では、私がこんな被害にあったのは、そもそもこれに原因が
あるからで、こんなものを製造・管理している奴が悪い、という訴訟が
相次いでいるのではないか。
たとえばタバコ。
私が健康を害したのは、そもそもタバコが悪い。だからタバコの製造・
販売をしている会社にお金を払わせよう、とか。
あるいはマクドナルドのコーヒー。
私がコーヒーでやけどをしたのは、そもそもフタがゆるゆるだったから
である。そんなゆるゆるのフタで販売していた会社が悪いのだ、とか。
私が知っているぐらいだから、このような訴訟は誰でも知っているに違
いない。
そこでふと思ったことがある。
銃について、そもそもこんなものを作って売っているから人が死ぬのだ、
という訴訟はどのくらい行われているのだろうか?
私の予想では、ほとんど行われていないのではあるまいか。
なぜかというと、弁護士が勝つ見込みのない訴えはしないからだし、そ
れ以前に、米国人が銃の危険性を意識下で抑圧しているからである。
銃乱射事件が頻発したら、銃を規制すべきであろう。
しかし、それをしない。
これが米国人の精神的な病でなくて何だろうか?
では、そうやって銃の危険性を抑圧することによって、米国は何を得て
いるのか。
いろいろ答えが浮かぶのだが、どれも決定打に欠ける。
誰か教えてほしいものです。