視覚と味覚

ものの味は、見た目がずいぶんと重要らしい。
なにも美しい盛り付けが大切だ、という意味ではなく、人間は視覚による情報があらかじめ
脳に届いており、味をある程度予測しているそうなのだ。


ある全盲の方が、自分で冷蔵庫を開けてジュースを飲もうとしたとき、同じような
容器の牛乳を手にして、間違えて口に含んだら、ひどくまずかった、という体験を読んだ
ことがある。
その人は、別に牛乳が嫌いなわけではないが、ジュースだと思って飲んだものが、全く
違う味だったので、ひどく混乱したのだそうだ。


私にも似たような経験がある。
台所にハンバーグがあったので、口に入れたところ、イワシのつみれだった。
私は魚介類が大嫌いなので、胃がひっくり返るような思いをした。
あるいは、夏の暑い日に、麦茶だと思って飲んだら、素麺のツユだったという経験は
多くの人にあるのではないだろうか。


逆に、見た目が悪くても意外とイケる食べ物もある。
イナゴの佃煮は、ちょっとしたチャレンジだったが、口に入れてしまえばどうという
ことはない、ただの佃煮だった。
センマイ刺しもコリコリして旨い。


立川談志は、弟子に対して、「これ何ですか?」というのは食べ終わってから言え! と
厳しく教えているそうだ。
せっかくご馳走してくれているのに、食べる前に質問するのは大変失礼である、という
ことだそうだ。


ま、世間にはアレルギーがある人もいるので、一応聞いておいてもいいとは思うのだが、
落語家の所作としては当然かもしれない。


話がとっ散らかってしまった。


テレビ番組では、食べ物を紹介していることが多いが、いかに旨そうに撮影するか、
という技術はもはや頂点に達していると思う。
四国松山のローカル番組ですら、グルメ情報というものがあり、それなりに旨そうに
見える。


だが、実際に紹介された店に行ってみると、まあ大したことはない。
これはテレビに騙された私が悪いのだ。
本当においしいものというのは限られているので、グルメ情報もネタが切れてしまい
そうだが、視覚情報を洗練させることで、いくらでもおいしそうに見せることができる。


結局、旨いかどうかは食べてみなければ分からないし、自分の味覚は他人と共有できる
ものでもないのだ。
もし、友だちや恋人が、自分と同じような味覚の持ち主だったら、それはすごくラッキー
なことですよ。