家庭のお茶

先日、塾の生徒が服にお茶をこぼしてしまった、と言っていた。
大丈夫か、ヤケドしなかったか、と心配すると、キョトンとしている。
そして
「センセー、熱いお茶なんか飲むの?」
と言って驚いた。


びっくりしたのはこちらである。
私がお茶と聞いて想像するのは、急須にお茶の葉を入れて熱湯を注ぐものだ。
ところが、生徒たちの世代になると、お茶はもはやそうして家庭で作るものではなく、
ペットボトルに入っているものなのだった。


もしかしたら、この生徒の方が特殊で、まだまだ一般家庭では急須にお茶を淹れて飲
んでいるのかもしれない。
しかし、ペットボトルのお茶に何の疑問も抱かない世代が生まれてきたということが、
私にはちょっとばかりショックだった。


私の味覚では、お茶は熱湯を注いで熱いのを飲むのが一番旨い。冷えたのも旨いけれ
ど、お茶の香りはやはりできたてのものがいい。
ペットボトルのお茶もまずくはないのだが、香りに関しては急須で淹れたものの方に
軍配が上がると思う。


お茶を淹れない家庭が多くなったとしたら、そのほかの料理も推して知るべしだろう。
慣れればそれほど面倒くさいとは思わないのだが、料理をしたり洗い物をすることが
億劫になる気持ちも分かる。


それでも、旨さやおもしろさは、面倒くさいことの向こう側にあるのではなかろうか。
面倒くさいことを楽しむことができる人は、きっとその先にある豊かな世界を手にし
ているはずである。


そんな大げさなことではなく、お茶ぐらい自分ちで淹れようよ、という話でした。