ジャッジするということ

私は司法にまったく疎いので、トンチンカンなことを書くと思うが、疑問に思ったことが
ある。


以前、誰が米国の最高裁判事に、というのがニュースになっていた。
保守派・リベラル派がしのぎを削っており、今後の米国の司法(特に違憲か合憲かを
判断する場合)に影響があるだろう、ということだった。


司法では、最終的にジャッジする人がいる。
その人の判断で、問題に決着がついたことになる。
それって、人間に判断できることなの? 


大昔の裁判では、サイコロで決めたり、煮え湯に手を入れてヤケドしなかったら無罪、
なんて乱暴なものがあったけど、それは人間の意志ではないジャッジに判断を委ねる
ということだったはずだ。


いつしか、人間が人間の最終判断をするようになって、そのことに文句を言うことは
できなくなってしまった。
だからこそ、裁判所では権威付けのために、やたらと格式ばっているのだろう。


そう考えると、いわゆる「未開」と呼ばれる社会で、呪術師がジャッジしているのと
本質的には変わらないのではないかと思う。


そりゃ、最高裁判事なんて、とてつもなく頭がいい人かもしれないけど、君子であるか
どうかは分からないじゃない? 
そういう老人たちに、司法の最終判断を任せているのが、なんだか笑ってしまうほど
脆弱なシステムな気がする。


ちなみに、9月の衆議院議員選挙に付随して、最高裁裁判官の国民審査があるが、
私は彼らの名前やどんな裁判にどんな判断を下したのかを知らない。
国が積極的に広報しているようにも思えない。
調べれば分かるんだろうけど。


調べました。
http://homepage2.nifty.com/misoshiru/mg/judgedata.htm
あっさり見つかってよかった。