歳をとって、世の中についていけなくなったなぁ、と思う。

いや、お前は今まで世の中についていけていたのか? という疑問は

当然あるわけだが、では、世の中についていける、とはどういうことか。

 

ひとつは流行に乗れることだ。

今だったら「鬼滅の刃」の映画を見たりマンガを読んだりすることだろう。

これはクリアできている。

しかし、もともとアニメやマンガが好きだから当然なのであって、流行とは

これまで興味がない人も巻き込まれることを言う。

だとしたら、タピオカとかそういうものに乗れなかった私は、すでに世の中に

ついていけないことになる。

 

音楽なんかも、もうよほどのヒット曲でないと耳にしないし、あまり興味も

ない。たまたまアニソン好きなおかげで、大ヒット曲も知っているのだが、

歳をとってくると自分が若いときに聴いていたものに回帰していくのでは

なかろうか? 

 

流行に乗るということは、たいてい流行を追いかけることで、そういう作業に

疲れてしまうのも老化のひとつかもしれない。

 

ただ、これだけ細分化された社会で、何が主流かという問いもあまり意味が

なくなってきつつある。人口ピラミッドボリュームゾーンで流行している

ことが主流というなら、団塊の世代か第二次ベビーブームあたりだろうけど、

そうではなかろう。

 

 

もうひとつは、多くの人が当たり前に使っているものが使えるかどうか、

ということだと思う。今ならスマホだ。

私もガラケーからスマホに変えたものの、そのポテンシャルをほぼ発揮

できていない。フリック入力より、デスクトップPCでキーボード入力して

いる方が楽だ。動画もPC上で見る。

そもそもあんまり外に出ないし友達もいないからな。

 

これは、科学技術が常に何かしら新しいものを生み出している社会だから

発生するものであろう。

流行はどの時代にもあったと思うが、科学技術的なものを扱えるかどうかは

近代に入ってからの老化現象ではなかろうか。

 

おそらくいまスマホを使い倒している若者も、初老になったときには別の

技術の習得に苦労するはずだ。

もしそうなっていないとしたら、科学技術が停滞しているか、より高度に

なって習得の苦労すらなくなっているか、どちらかだろう。

 

 

日本を仕切っているお爺さんたちは、スマホで動画を楽しんだりして

いるのだろうか。エクセルを使ったことはあるのだろうか。SNS

アカウントを自分で登録したことはあるのだろうか。

 

老体に鞭打ってそんなことをしなくてもいいのかもしれないが、世の中に

ついていけなくなったことを開き直らないようにしてほしいものだ。

それが保守ということなのかもしれないが。