ここを旅した司馬遼太郎は、わりと気ままに話題をふっていて、
中世から近世の貿易のことや、その船で使っていた錨のことなど
多彩な話で盛り上げる。
ちょっと面白かったところを抜き出すと
かといって、福建省が日本の漢音の故郷なのかとなると、
それはちがっている。以下、誤解がないよう、日本の漢音に
ついて触れておきたい。ついでながら、漢音の音じ方を、
ふつう
「字音(じおん)」
という。まず日本語の字音についてのべる。
いうまでもないことだが、日本漢音には、呉音と漢音がある。
最初、呉音が渡来した。たとえば、
「正月(しょうがつ)」
という。これは呉音である(漢音なら、むろんセイゲツ)。
元旦も呉音で、ゲンタンとはいわない(ただし元日といった
ときには、呉と漢がまじっている)。「明けの明星(あけの
みょうじょう)」も呉音。大阪に明星(めいせい)高校という
カトリックの学校があるが、メイセイは漢音である。明治の
キリスト教は、呉音をきらった。理由は、呉音が主として
仏教経典の音で「坊さんよみ」ともいわれていたからである。
このためキリスト教は徹底的に漢音を用いた。聖書は、呉音--
坊さんよみ--なら聖書(しょうしょ)だが、むろんセイショ。
「関西(かんさい)」の西は呉音である。大阪の私学の関西大学は
むろん土地の慣習音どおりカンサイだが、キリスト教系の
関西学院大学にかぎっては、呉音をきらい、カンセイという。
(p27-28)
あと、福建省の農村の焼き畑の話になったとき、日本の焼き畑に
ついての話題になり
焼畑の法には、二通りあるという。
最も普通なのは、まず畑にしようとする山に行き、喬木は
木にのぼって枝を下ろし、灌木は根本から伐ってねかし、
その年はそのままにして乾燥をまつ。つまり、最初の年は、高い木を丸坊主にしたり、灌木を伐って
乾燥させたりするだけでおわる。
(中略)
もう一つの方法というのは、地味のいい山地にかぎる。
春から夏にかけて樹木を伐り、夏の終わりに火を入れ、あと、
ソバをまく。このやり方を夏焼という。
(p87-88)
ハロプロのアイドルBerryz工房に夏焼という珍しい名字の
メンバーがいたが、もしかしたら彼女の名前の由来は
焼畑の土地から来ているかもしれない。
どうでもいい話で申し訳ない。