映画の日にようやく「ジョーカー」を見ることができた。
評判は聞いていたが、これほど重い作品とは思わなかった。
ロバート・デニーロが登場するあたりから、これは「タクシードライバー」を
なぞっているのだな、ということは分かったけれど、まさかここまで主人公が
転落していくとは想像できなかった。
私はこの映画を見ながら永山則夫を連想した。
はたして米国人はこの作品をどのように見たのだろうか?
敢えてこれをぶつけて商業的に成功したのがすごいけれど、富裕層にこの
叫びが届いているかは疑問だ。
そもそも、これはバットマンの枠組みで制作されているけれど、バットマンは
登場しない。少年時代のブルース・ウェインが出てくるだけだ。
逆に「バットマン」のような正義とは何なのかが、塗りつぶされたところから
浮かび上がってくる仕掛けになっている。
これほど格差が広がり、福祉が切り捨てられた社会は、先進国と言えるのか、
という問いかけがあるように思えた。
そういえば、主人公のカウンセラーは福祉事務所の人も刑務所の人も黒人女性
だった。そこに隠された意味は何なのだろうか。