昨日「キック・アス」を見て書き忘れたのだが、いまノイタミナ枠で
やっている「サムライフラメンコ」の元ネタって、これだよね。
(途中から超展開になって多くの人が脱落したと思うが)
↓
ところで、どうして米国のヒーローは銃を使わないのだろう?
少なくとも、マシンガンとか拳銃を積極的に使うヒーローを見たことが
ない。
「キック・アス」のコスプレ主人公だって、買おうと思ったら銃を
買えるわけである。護身用にひとつぐらい持っていた方がよかった
のではないだろうか。
(その点、ヒット・ガールたちは現実的だから、普通に銃を使って敵を
倒していた)
なんでヒーローは銃を持たないかといえば、超能力を持っているという
設定があるからだ。
銃社会だから、それに勝てる超能力に憧れるのだろう。
とはいえ、大金持ちで本人は超能力のないバットマンも、銃を積極的には
使わない。
つまり、銃を使わずに銃に勝つ、というのがヒーローの条件という不文律
があるのではなかろうか。
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その不文律には、銃を使うのは悪いことである、という意識が伏流している
ような気がする。
いやいや、「ダイ・ハード」だって「ランボー」だって、ハリウッド映画は
いつでも銃を使うヒーローがいたじゃないか、という指摘はごもっとも。
古い西部劇から現在の刑事ものまで、正義のために銃を使う主人公は無数に
いる。
銃に対する信頼と反感は、おそらく米国人が抱く普遍的な感情なのだろう。
アメリカンコミックは子供向けのものなので、悪者が銃を使うけれども、
大人向けのハリウッド映画では、正義が銃を使う。
そういう棲み分けがあるのかもしれない。
そのルールに従えば、子供に防弾チョッキを着せて銃を撃ったビッグダディは
悪い人ということになり、物語の中で制裁を受けなければならなかった、と
いうことか。
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銃を使わないアメリカンヒーローと、銃を撃ちまくるハリウッドスターの
中間に、カンフー映画があるのではないか、という仮説を思いついたが、
どうだろうか。
「キック・アス」や「マトリックス」で表現される、カンフー映画へのリスペクトは、
超能力ではないけれども銃より強いものへの憧れではないか。
米国のオタクにそのことを訊いてみたいものだ。