Boaz2014-02-24

昨日「キック・アス」を見て書き忘れたのだが、いまノイタミナ枠で
やっている「サムライフラメンコ」の元ネタって、これだよね。
(途中から超展開になって多くの人が脱落したと思うが)



ところで、どうして米国のヒーローは銃を使わないのだろう? 
少なくとも、マシンガンとか拳銃を積極的に使うヒーローを見たことが
ない。


キック・アス」のコスプレ主人公だって、買おうと思ったら銃を
買えるわけである。護身用にひとつぐらい持っていた方がよかった
のではないだろうか。
(その点、ヒット・ガールたちは現実的だから、普通に銃を使って敵を
倒していた)


なんでヒーローは銃を持たないかといえば、超能力を持っているという
設定があるからだ。
銃社会だから、それに勝てる超能力に憧れるのだろう。


とはいえ、大金持ちで本人は超能力のないバットマンも、銃を積極的には
使わない。
つまり、銃を使わずに銃に勝つ、というのがヒーローの条件という不文律
があるのではなかろうか。



その不文律には、銃を使うのは悪いことである、という意識が伏流している
ような気がする。


いやいや、「ダイ・ハード」だって「ランボー」だって、ハリウッド映画は
いつでも銃を使うヒーローがいたじゃないか、という指摘はごもっとも。
古い西部劇から現在の刑事ものまで、正義のために銃を使う主人公は無数に
いる。


銃に対する信頼と反感は、おそらく米国人が抱く普遍的な感情なのだろう。
アメリカンコミックは子供向けのものなので、悪者が銃を使うけれども、
大人向けのハリウッド映画では、正義が銃を使う。
そういう棲み分けがあるのかもしれない。


そのルールに従えば、子供に防弾チョッキを着せて銃を撃ったビッグダディ
悪い人ということになり、物語の中で制裁を受けなければならなかった、と
いうことか。



銃を使わないアメリカンヒーローと、銃を撃ちまくるハリウッドスターの
中間に、カンフー映画があるのではないか、という仮説を思いついたが、
どうだろうか。


キック・アス」や「マトリックス」で表現される、カンフー映画へのリスペクトは、
超能力ではないけれども銃より強いものへの憧れではないか。


米国のオタクにそのことを訊いてみたいものだ。