*[本]平成の終焉

平成における象徴天皇制とはどういうものだったのか、データに基づいて
論じていて勉強になった。


いまの天皇皇后は即位する前の皇太子皇太子妃時代から、全国をくまなく
まわっていて、そのときの人々との接し方に彼らの意思があったのだ、と
いう論考だったように思う。



私が勝手に思うことは、現在の天皇自民党政権に違和感をおぼえている
のではないか、ということだ。もっと率直に言えば苛立っているのかも
しれない。


ただ、政治に干渉できない立場なので、なかなかそれを国民に伝えられず、
とうとう「おことば」というかたちで表明したのではないか、と。


それが実際には政治に影響を与えてしまうことも計算に入れているはずで、
その意図は憲法から逸脱しているのでは、という指摘は当然だろう。


それでも天皇に勝算をいだかせた根拠は、皇太子時代から60年にわたって
全国を行幸啓して達成した、著者の言葉を使うなら「国体のミクロ化」だと
思う。


実際、ほとんどの日本人はいまの天皇に素朴な崇敬の念を抱いており、
ちょっとやそっとのことでは揺らがないだろう。
それを利用したい人々を警戒しなければならない。



あとがきで、著者が毎日新聞で対談した記事について、宮内庁が名指しで
反論したことが書かれている。それについて

 ある事情通から聞いた話ですが、特定の人名に言及して宮内庁がここまで
反論するのは、きわめて珍しいそうです。こんなことは、宮内庁単独の判断
ではできない。その背後にはどうやら、皇室関係のすべての記事を日々チェック
し、目を光らせている「ある人物」の存在が見え隠れしているようです。
具体的な名前は控えますが、その名前を聞いたとき、なるほどと思ったことも
また確かでした。
(p221-222)

とあって、「ある人物」って誰なんだ、と気になってしまった。
その筋の人ならすぐに分かるのだろうけど。



日本会議周辺の人たちが、なぜ明治時代から昭和初期の制度を称揚し、
戦後を全否定しているのか、よく分からなかった。
保守というなら、明治時代以前の歴史についても伝統を重んじるべき
だと思うのだが、どうもそうではなさそうだ。


ふと、彼らが大好きな時期は、日本が対外戦争で勝っていた時代だ、
ということに気がついた。


つまり、伝統とかそういうことではなく、外国に戦争で勝っている
日本が大好きで、またそういう国にしたい、というだけの話だった
のだ。


それは保守というよりは中二病というか未熟な人の考えでは
なかろうか。
「ぼくのかんがえたさいきょうのにっぽん」を実現するためには、
皇室を表に立たせて反対する奴を黙らせよう、というのが本音だろう。


だから、靖国神社に参拝しなかったいまの天皇が気に入らなかった。
もっと自分たちの駒になるような天皇が望ましいのだろう。



退位して、次の天皇になる浩宮徳仁がどういう象徴天皇像を描くかは
まだ未知数で、さらに秋篠宮文仁の代になったとしたら、どうなるかは
ますます分からない。


共和制にすべきというラディカルな人もいるけれど、おそらくそれは
あと100年ぐらいは無理だろう。
秋篠宮悠仁の子供が男の子でなければどうなるのか、見届けられない
のが残念だ。