レディ・プレイヤー1

ツイッターのタイムラインで評判が良かったので見に行った。
レイトショーで観客は30人ぐらい。
いかにも米国らしい娯楽大作で面白かった。


以下はネタバレ



2時間20分あるのにダレ場がないのは、さすがスピルバーグ監督だと思う。
物語の骨格が、3つのカギを探すというしっかりしたものだから、グイグイ
進んでも飽きないのだろう。


それに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を下敷きにした物語でもある
ような気がする。
もうひとつのドクとマーティーのストーリーとでもいうか。



舞台設定はあまり希望のない未来で、こういう世界観は先進国に共通する
ものなのだろうか。
テレビゲームの黎明期である1980年代をノスタルジックに描いていて、
いまの若者たちはどう感じたのか気になる。


ついでに言えば、映画で使われた80年代のヒットソングは、その当時よく
聴いていたものだけに、特別な感慨があった。
アメリカン・グラフィティ」で60年代のポピュラーソングが使われて
いたときはピンと来なかったけれど、自分の血肉になっている楽曲だと、
単なるBGMには聴こえなくなる。
歳をとるというのは、こういうことか。



米国は階層社会だなぁ、と思わせる描写がいくつも出てきて、現実も
そうなのだろうかと思った。


具体的には、悪役のIOIの社長はポップカルチャーをほとんど知らず、
解析班にはいかにもオタクっぽい人たちがひしめいていた場面だ。


そもそも、この映画の舞台になるゲームを作った人が全くのギークで、
クリエイティブな人と会社を経営する人の分断は、本作の大きな
テーマなのかもしれない。


日本も同じような状況だと思うが、ときどき経営サイドにオタク心が
分かる人がいるのがちょっと違うところか。
もっとも経産省が音頭をとったクールジャパンの惨憺たる結果を
見ると、ポップカルチャーは官僚や政治家にはまだまだ理解されて
いないことが分かるが。



また、米国人らしいのは、オタクの世界に逃げずにリア充になれ、と
いうメッセージを出すところだ。
欧米のカップル強制文化はしんどいと思うのだが、二次元に嫁を作る
という日本の発想は受け入れられないようだ。


しかし、映画で相思相愛になったのは主人公のカップルだけで、
エイチ(黒人女性)やダイトウ(日本人)たちは恋愛的には
取り残されている。
そこが皮肉を込めて言えばハリウッド映画なのだ。



「レディ・プレイヤー1」では、日本のキャラクターやロボットが
たくさん登場してうれしかったけれど、今の日本人はそのような
ものを作り出せているのかといえば、ちょっと心もとない。


じゃあ、他のアジアの国が日本にとって代われるかといえば、
それもまだ時間がかかるだろう。
そのアドバンテージがあるときに、次世代を育成しなければ
ならない。


といっても、オタクというのは勝手になるものだから、マンガや
アニメが手に触れやすい環境を壊さないだけでいいと思う。
それを壊そうとする人がいるのが困るのだけれど。