Boaz2014-01-05

先日亡くなった大滝詠一のことを考えてみた。
私は大滝詠一についてほとんど知らないが、米国と日本の音楽について
ものすごく詳しい人、ということは分かる。
おそらく世界でもトップクラスの知識を持っていただろう。


しかし、彼はアカデミックな場所にいなかった。
いわゆる在野の研究者だった。
そして、学術的な意味での論文を発表してはいなかった。
その代わり、アメリカンポップス伝や日本ポップス伝といったラジオ番組
を製作した。
音楽を論じるのに、その音楽を聞きながら喋るのが最も理にかなっていた
からだろう。


大学教授で音楽史を専門にしている人は、世界中にたくさんいると思う。
Wikipedia の「音楽学者」という項目を見ると、その一覧が分かる。
たいていはクラシック音楽民族音楽を研究している人たちだ。


大滝詠一は1950年代から1970年代の、米国と日本のポップミュージックを
誰よりも熟知していた。
もしかしたら音楽史の中では新しい時代のため、誰も研究していなかった
のかもしれない。


学術的な意味で、大滝詠一の研究がフォローされるときは来るのだろうか。
それとも、在野の人の趣味ということで片付けられてしまうのだろうか。


大滝詠一本人は、学界に全く興味を持たなかったが、だからといって彼の
業績が学術的に無視されるのはどうかと思う。


そのうち、柳田國男を研究する人が山ほど現れるように、大滝詠一を研究
する人が出てくるだろう。
できれば、正当な音楽史の中に組み入れてほしいと思う。