今日は子規記念博物館で第10回伊丹十三賞の受賞記念講演があった。

応募したら当選したので、磯田道史の話を楽しく聞いてきた。

喋り口調がちょっと春風亭昇太に似ていると思った。

 

講演は、カミ・クニ・カネとはどういうことだろうか、という

ことに疑問を抱いた少年時代の話から始まった。

縄文時代の生活に興味を持ち、わざわざ黒曜石の原石をわけて

もらいに父に隠岐の島まで連れて行ってもらったとか、犬は

いつから人間と一緒に生活しているのか知りたくて、ちょうど

犬と人間が一緒に埋葬されていた上黒岩遺跡が愛媛県にあった

ので、やはり父にねだって連れてきてもらったとか、そういう

エピソードをパワーポイントを使って説明してくれた。

今の彼をつくったのは父親のおかげかもしれない。

 

松山城の話もしてくれた。

松山城天守閣は三層なのだが、本当は五層で作る予定だった

らしい。

従来の説では、徳川家に配慮して小さくしたらしいのだが、

「松山叢書」という文献から、地震対策だったのではないか、

という磯田説を披露した。

というのも、松山城をつくる前に熊本地震があった記録が

残っており、熊本の地震は中国四国の地域に連動することを

知っていたのではないか、というのが根拠である。

 

3つ目は正岡子規秋山真之の話だった。

伊丹十三もそうだが、伊予松山にゆかりのある人は、余裕と

諧謔がある、ということだそうだ。

最後は秋山真之の「天剣漫録」から好きな部分を抜粋して

解説して終わった。

 

きっちりした構成の講演ではなかったが、聴衆を退屈させる

ことなく90分ノンストップで語り終えたのはさすがで、もっと

歴史の話を聞いてみたいと思った。

 

 

前に伊丹十三賞の受賞記念講演に行ったのは、第3回の内田樹

ときだった。調べると2011年である。

ついこのあいだのような気がしていた。

 

内田樹のときは松山総合コミュニティセンターのホールだった。

ここのキャパが1000人だそうで、今回は500人だから半分である。

応募は1200通あったそうだから、もうちょっと広いホールに

してもよかったのでは、とも思う。