第三回伊丹十三賞(受賞者は内田樹)の受賞記念講演が地元松山で
あったので、見に行った。
演題は「伊丹十三と『戦後精神』」。
露払いに宮本信子が登場して挨拶した後、内田樹と5分ぐらいトーク
をして本講演に入る。
伊丹十三という人はどういう人なのか、包括的な論説を読んだことが
ない。それはなぜか?
1.伊丹十三自身も、これを表現したい、というものを模索していたから
(肩書きが異様に多いのはそのためではないか?)
2.義弟の大江健三郎の影響力が大きいために、他の人が伊丹十三につ
いて書くのをためらったから
(業界では、大江健三郎を怒らせたら大変なことになるらしい)
こうして講演している私(内田)自身も、伊丹十三について語ること
に困難を感じている。それはなぜか?
まず、世代的な理由。
伊丹十三は1933年生まれで、江藤淳と半年ぐらいしか違わない。
この世代はともに、12歳という多感な時期に終戦を迎え、世の中の価
値観の大転換をダイレクトに受けている。
それ以前の世代は、戦争について大人としてコミットしていき、それ
以後の世代は戦争体験を持たない。
戦中派だけが、軍国教育と戦後教育に自分を引き裂かれている。
だから、伊丹も江藤も、戦後に全否定されたものの中で、善なるもの
を拾い集めて、引き裂かれた自己を補修していたのだ、という。
そこで「ヨーロッパ退屈日記」をテキストとして、伊丹十三が何を
言いたかったのか、何を書かなかったのかを説明していく。
- 作者: 伊丹十三
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/03/02
- メディア: 文庫
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この本は、伊丹がハリウッド映画「北京の55日」のオーディションを
受けにロンドンに行って、柴五郎の役をゲットして、撮影を終えて
帰るまでに見聞したことを、語りかけるような文章で書いた、日本
におけるエッセーの嚆矢である。
30歳前後の若者が書いた、1963年ごろのヨーロッパの見聞録が現在も
リーダブルであるのは驚異的なことであるが、これは単にヨーロッパ
の風俗カタログではなく、一貫した批評があるからである。
まず、米国人の幼児性や傲慢さを斬っている。
返す刀で、日本人の惰弱さも断罪している。
ただ、日本についての美点も多く記しており、ここに引き裂かれた自
己を見ている。
なぜ米国をこのような方法で批判するのか?
それは、ヨーロッパが米国より文化的に優位にあるからだ。
ヨーロッパに軸足を置き、日本と同化することによって、間接的に
米国を下に見る、という屈折がある。
伊丹も江藤も、このような屈折した方法で反米を表しており、これは
戦中派に共通したことではないか、と内田は語っていた。
……と、ここまで記憶だけを頼りに講演を再現してみたのだが、どうも
まとまった話を聞いた印象がなく、あまり笑いもなかった。
(もしかしたら重要な話題をすっかり忘れているかもしれない)
本当はもっと面白い話をする人だと思うのだが、なんとか伊丹十三の全
貌について基準となるような話をしよう、と気負っていたせいかもしれ
ない。
私は、山本夏彦という補助線を引いたらどうなるだろう、とか、養老孟
司って何年生まれだっけ?(調べたら1937年でした)ということを、話
を聴きながらぼんやりと考えていた。
私が座っていた席は右端だったので、演壇の側面がよく見えた。
内田樹は、足をちょっと後ろに引いてつま先を立て、ぐりぐりとくるぶ
しをほぐすような動作を、講演中ほぼずっとしていた。
あれは癖なのだろうか。どうでもいいことだが。