伊丹十三と「戦後精神」

第三回伊丹十三賞(受賞者は内田樹)の受賞記念講演が地元松山で
あったので、見に行った。
演題は「伊丹十三と『戦後精神』」。
露払いに宮本信子が登場して挨拶した後、内田樹と5分ぐらいトーク
をして本講演に入る。


伊丹十三という人はどういう人なのか、包括的な論説を読んだことが
ない。それはなぜか? 


1.伊丹十三自身も、これを表現したい、というものを模索していたから
 (肩書きが異様に多いのはそのためではないか?)
2.義弟の大江健三郎の影響力が大きいために、他の人が伊丹十三につ
 いて書くのをためらったから
 (業界では、大江健三郎を怒らせたら大変なことになるらしい)


こうして講演している私(内田)自身も、伊丹十三について語ること
に困難を感じている。それはなぜか? 


まず、世代的な理由。
伊丹十三は1933年生まれで、江藤淳と半年ぐらいしか違わない。
この世代はともに、12歳という多感な時期に終戦を迎え、世の中の価
値観の大転換をダイレクトに受けている。


それ以前の世代は、戦争について大人としてコミットしていき、それ
以後の世代は戦争体験を持たない。
戦中派だけが、軍国教育と戦後教育に自分を引き裂かれている。


だから、伊丹も江藤も、戦後に全否定されたものの中で、善なるもの
を拾い集めて、引き裂かれた自己を補修していたのだ、という。


そこで「ヨーロッパ退屈日記」をテキストとして、伊丹十三が何を
言いたかったのか、何を書かなかったのかを説明していく。

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

この本は、伊丹がハリウッド映画「北京の55日」のオーディションを
受けにロンドンに行って、柴五郎の役をゲットして、撮影を終えて
帰るまでに見聞したことを、語りかけるような文章で書いた、日本
におけるエッセーの嚆矢である。


30歳前後の若者が書いた、1963年ごろのヨーロッパの見聞録が現在も
リーダブルであるのは驚異的なことであるが、これは単にヨーロッパ
の風俗カタログではなく、一貫した批評があるからである。


まず、米国人の幼児性や傲慢さを斬っている。
返す刀で、日本人の惰弱さも断罪している。
ただ、日本についての美点も多く記しており、ここに引き裂かれた自
己を見ている。


なぜ米国をこのような方法で批判するのか? 
それは、ヨーロッパが米国より文化的に優位にあるからだ。
ヨーロッパに軸足を置き、日本と同化することによって、間接的に
米国を下に見る、という屈折がある。


伊丹も江藤も、このような屈折した方法で反米を表しており、これは
戦中派に共通したことではないか、と内田は語っていた。



……と、ここまで記憶だけを頼りに講演を再現してみたのだが、どうも
まとまった話を聞いた印象がなく、あまり笑いもなかった。
(もしかしたら重要な話題をすっかり忘れているかもしれない)


本当はもっと面白い話をする人だと思うのだが、なんとか伊丹十三の全
貌について基準となるような話をしよう、と気負っていたせいかもしれ
ない。


私は、山本夏彦という補助線を引いたらどうなるだろう、とか、養老孟
司って何年生まれだっけ?(調べたら1937年でした)ということを、話
を聴きながらぼんやりと考えていた。


私が座っていた席は右端だったので、演壇の側面がよく見えた。
内田樹は、足をちょっと後ろに引いてつま先を立て、ぐりぐりとくるぶ
しをほぐすような動作を、講演中ほぼずっとしていた。
あれは癖なのだろうか。どうでもいいことだが。