Boaz2015-10-30

Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史2」、今回はヘタウマがテーマだった。
表現を、技術と情熱に分解してマトリックスを作ると

         技術
          ↑
       A  | B
     ←−−+−−→情熱
       C  | D
          ↓

Aがウマヘタ、Bがウマウマ、Cがヘタヘタ、Dがヘタウマになる。
欧米ではAかBしか評価していなかったが、日本はDも認めていた。


やがて、技術は優れているけれども伝えたいものがないAのウマヘタよりも、
技術は拙いけれどもなぜか感動してしまうDのヘタウマの方が面白いのでは、
ということに気がついた、という流れだ。
(ポピュラー音楽だとセックスピストルズとか)



日本のマンガ史でいうと、湯村輝彦を元祖とするガロ系の作品がヘタウマに
あたる。
蛭子能収根本敬も紹介されており、私は蛭子能収の作品がテレビで正当に
評価されているのを初めて見た。
バラエティ番組に出演する変な人というのは生活のための仮の姿であり、
本当は天才マンガ家だと思う。
(しかし、蛭子能収の書斎が立派だったのに大して根本敬は安いアパート
だったので、テレビに出ると金が入るんだなぁとも思った)



湯村輝彦の影響を受けたヘタウマ系のイラストレーターに、西山カルロスさとし
という人がいたが、現在は飲食店を経営しているらしい。
http://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/1509090
ということは、今はあまりヘタウマ系に需要はないのかもしれない。
そういえば、最近あまり見ないな。



日本が昔からヘタウマも認めていたといえば、たぶん「へうげもの」で
おなじみの古田織部もそういう人だったのだろう。
文化的にちょいちょいそういう人が出現して一世を風靡しては消えていく
ような気がする。


もしかしたらラノベも文学的なヘタウマ系と言えるのかもしれない。


もっと拡大すれば、日本のオタクカルチャーも成熟を拒否する意味では
ヘタウマと言えるのかも。



ただ、ヘタウマを発見したり評価したりするオッサンたちは、どこか
オシャレな階層に属しており、今回の講師だった都築響一もマガジン
ハウスの人で、なんというか広告代理店臭がするのである。


おいしいとこだけ搾取して、あとはポイッという感じ? 


この番組で初めて知った伊勢田勝行というアマチュアのアニメーターも、
うまいこと使われて忘れ去られてしまうと思う。
日本のヘンリー・ダーガーとでも言うような人なのだが。