夏休みのジブリ映画に代わる大作で、及第点はクリアできた作品だと思う。
面白かったし、大人も子供も楽しめる良い映画だった。
ただ、物語の中盤から、主人公がバケモノの世界と人間の世界を自由に行き来
できるようになったのに、何の説明もなかったのは、あれっと思った。
熊徹たちのように、大人になったら普通に渋谷に行けるにしても、ワンクッション
欲しかったと思う。
以下は私の妄想である。
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すごい力を持っていても弟子をうまく育てられない人って誰だ?
映画を見ていて、熊徹は宮崎駿ではなかろうか、と思ったら、もうそこから
抜けだせなくなってしまった。
私の解釈では、バケモノの世界はアニメを製作する場所である。
蓮はもちろん細田守で、ふとしたはずみにバケモノの世界に入り込み、宮崎駿の
弟子になる。
(あの豚や猿はプロデューサーのメタファーではなかろうか)
何とか一人前になった細田守は、宮崎駿のもとから抜け出し、自分の世界を
作ろうとする。「白鯨」は自分が企画したアニメを意味している。
バケモノの世界に戻ると、宮崎駿はたくさんの弟子を抱えているが、誰一人モノに
なりそうなものはいない。
一方、熊徹と対峙する猪王山はディズニーかピクサーの象徴である。
アニメの世界を次に仕切るのは、資金力や技術でも猪王山なのは衆目の一致する
ところだが、熊徹はそれをねじ伏せる力を持っている。
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映画のネタバレになってしまうが、熊徹は猪王山に勝つものの、最終的にはツクモガミに
なって、蓮の心の中に入っていく。
これは宮崎駿の引退を意味する。
つまり、これから夏の大作アニメ映画は、ジブリから私が引き継ぎますよ、という宣言
である。
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では、一郎彦は誰の象徴なのか。
これは私も思いつかない。押井守かとも考えたが、庵野秀明でも解釈可能だ。
そして、人間の心の闇というのは、オタクの悪い部分なのではないか、と私は考える。
いや、悪い部分というのは違うか。
おっぱいとかパンチラとかの萌えに淫してしまう、欧米から見たら不健全に感じる部分
とでも言えばいいのだろうか。
実はディズニーやピクサーのアニメも、日本のオタク的なものが好きなのかもしれないが、
影響を受けていないことになっている。
一郎彦が人間であることを秘密にしていたのは、そういうことではないか、と。
そして主人公はバケモノの世界に戻ることなく、現実の世界で生きていくことを選択した
ように終わっている。
いろんな解釈ができる終わり方だが、古いアニメ業界のしがらみから離れていく、という
意味にとれるのではないか。
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以上、変な妄想を書いてしまったが、こんなヨタ話を真に受ける人はいないだろうから、
このへんで終わる。