Boaz2015-03-08

私は曽野綾子という人がよく分からない。
彼女の小説も読んだことがなく、何を読めばいいのかも分からない。


で、作家としての曽野綾子と、時事問題について発言する曽野綾子
別にして考えなければならない。


だが、なんで彼女の発言がこれほど波紋を呼ぶのか。
斎藤環朝日新聞で、キャラが立っているからだ、と書いていた。
だとすると、芸人と似たようなものか。



ある事象について、この人の意見を聴きたい、という欲求があって、
そのために紙面を提供するメディアがある。


問題は、メディアが掲載を依頼する人の質である。
つまり、メディア自体の質でもある。


私は、曽野綾子の時事問題についての意見は、頭のおかしいおばあさんの
繰り言と同じだと思っている。
なので、このようにブログなんかに書くのではなく、黙殺すべきだと思う。
書いた時点で私は術中にはまっているのだ。



社会問題について意見が求められるときは、まず専門家が呼ばれるだろう。
その知見に基いて、非専門家がいろいろと感想を述べる。
素人の意見も尊重すべきだ、というのが建前なので、いろんな話が出てくる。
ここまでは別に問題ない。


作家は、厳密に言えば小説以外では非専門家だろう。
しかし、知識人のひとりとして意見を述べることが多い。


この「知識人」というのが、グレーゾーンになっていて、専門家では
ないけれども、意見を尊重される人みたいになっている。


でも、メディアもあらゆる知識人に意見を求めているわけではなく、それ
ぞれの政治的な立場で選んでおり、傾聴すべきものか、唾棄すべきものか
を読者が決めている。



結局、曽野綾子を支持する一定の読者がいるから、このおばあさんのコラムに
箔がつくわけで、同じような意見が新聞や雜誌の投書欄に載っても、話題に
ならないだろう。


まあ、多くの人にとっては、曽野綾子って誰? という認識だろうから、
亡くなってしまえばどうということはない。


騒がずにいれば、名前も思い出さなくなるだろう。
ひとりの老婆として、慎ましく生きてほしいと願うだけである。