私は曽野綾子という人がよく分からない。
彼女の小説も読んだことがなく、何を読めばいいのかも分からない。
で、作家としての曽野綾子と、時事問題について発言する曽野綾子は
別にして考えなければならない。
だが、なんで彼女の発言がこれほど波紋を呼ぶのか。
斎藤環が朝日新聞で、キャラが立っているからだ、と書いていた。
だとすると、芸人と似たようなものか。
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ある事象について、この人の意見を聴きたい、という欲求があって、
そのために紙面を提供するメディアがある。
問題は、メディアが掲載を依頼する人の質である。
つまり、メディア自体の質でもある。
私は、曽野綾子の時事問題についての意見は、頭のおかしいおばあさんの
繰り言と同じだと思っている。
なので、このようにブログなんかに書くのではなく、黙殺すべきだと思う。
書いた時点で私は術中にはまっているのだ。
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社会問題について意見が求められるときは、まず専門家が呼ばれるだろう。
その知見に基いて、非専門家がいろいろと感想を述べる。
素人の意見も尊重すべきだ、というのが建前なので、いろんな話が出てくる。
ここまでは別に問題ない。
作家は、厳密に言えば小説以外では非専門家だろう。
しかし、知識人のひとりとして意見を述べることが多い。
この「知識人」というのが、グレーゾーンになっていて、専門家では
ないけれども、意見を尊重される人みたいになっている。
でも、メディアもあらゆる知識人に意見を求めているわけではなく、それ
ぞれの政治的な立場で選んでおり、傾聴すべきものか、唾棄すべきものか
を読者が決めている。
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結局、曽野綾子を支持する一定の読者がいるから、このおばあさんのコラムに
箔がつくわけで、同じような意見が新聞や雜誌の投書欄に載っても、話題に
ならないだろう。
まあ、多くの人にとっては、曽野綾子って誰? という認識だろうから、
亡くなってしまえばどうということはない。
騒がずにいれば、名前も思い出さなくなるだろう。
ひとりの老婆として、慎ましく生きてほしいと願うだけである。