社会を変えるには

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには。
結論を先にいうと、自分が変わることである。


この本の最初の方に、反原発のデモをやっても世の中は変わらない、
選挙をしなければダメなんじゃないの? という問いかけに対して、
そういう考え方は狭いのだ、とある。


私も、デモについては否定的な見方をしていたので、じゃあどんな
ふうに説得しているのかと思って読んでみた。
でも、残念ながら自分の意見は変わらなかった。
つまり、私は固陋なオッサンであるということが分かったし、社会
を変えられる人間ではないということも確定したのだ。ああ。


もうひとつ、読後に思ったのは湯浅誠平田オリザのことだ。
民主党政権の一時期、彼らは政治に参画したが、ふたりとも思った
ような活躍はできず、民間人に戻った。


湯浅は、何もできなかったわけではなく、あとに残るような仕事も
あった、とブログに書いていた。
けれども、深い徒労感に蝕まれていたようにも見えた。
実務経験のある人でさえそうなのだから、デモで世の中が変わると
はとても思えないのだが、どうなのだろう。


それでも小熊は

 運動のやり方に、決まったかたちはありません。「これが社会を
変える」という対象にあわせればいいことです。投票でもロビイング
でも、デモでもNPOでも、ネットでも新聞でも、やり方は多様です。
(P490)

と書いている。


私のような廃人はどうすればいいのかというと、

 何も特技がない、批判は大好きだが対話や活動は苦手だ、といった人
もいます。そういう人は、社会運動に向いていない以前に、社会生活に
向いていない気もしますが、そういう人なりの運動のやり方もあります。


「◯◯銀行は☓☓電力に二兆円も融資して大丈夫なのか?」とか「廃棄物
の貯蔵先がないのに再稼働してどうするつもりなんだ?」とか、ネットや
電車のなかで、つぶやいてもらいましょう。


そうやって「自分でもできる」という感じになってきたら、別の役割を
やってみてもいいかもしれません。
(P492)

とのことだ。これならできそうだ。


心ある人は、東日本大震災のときに、苦い何かを飲み込んだような気分に
なったと思う。
身近にいる子供たちに、そんな思いをさせたくないよなぁ、と思ったなら、
やはり社会を変えなければならない。
とりあえず、選挙には行こう。
(ちなみに私は選挙権を得てから、すべての選挙に投票している)



社会運動はともかく、近代というものを概観するのにも、この本は
非常に読みやすく分かりやすい。
高校生は一読しておくと、大学入試の現代文がかなりクリアに読める
ようになるのではないだろうか。