Boaz2012-02-15

リバタリアンがよく教育の改革を言うのは、企業にとって
「使える奴」を安価に手に入れたいからである。


従来、日本において「使える奴」とは、“従順で体力がある男”
だった。


ところが、そういう人間ばかりになるとイノベーションが生
まれなくなったので、今度は“自分で仕事を作り出せる男”、と
いう条件に変わった。


問題は、全員がそういう人間になるように要請していること
である。
悪いが、普通の人にとってはかなり難しい。


イノベーションを起こす能力はないけれど、まじめに仕事を
こなす人が、どんどん貧乏になるような制度設計は間違ってい
る。中間層の減少とは、そういうことである。


これから育てなければならないのは、誰が「使える奴」を決めて
いるのか、を考えることのできる人である。