朝日新聞の謝罪の顛末を傍観している。
間違った記事を掲載したのはいかんと思うが、鬼の首を取ったように
バッシングするのもどうかと思う。
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私が思うに、朝日に限らず、新聞社の上の方の人は、まだ新聞によって
世論をコントロールできると考えているのではなかろうか。
右であれ左であれ、自分が主張することは主観的には善いことであり、
善いことを広げるためなら、多少の脚色は許されるだろう、という伝統
が昔からあったと推測する。
もともと新聞というのは半笑いで読むもので、信用するかどうかは読む人が
個別に判断すべきなのだろう。
大新聞を東スポと同列に扱うのもどうかと思うが、新聞社を全面的に信じる
方が危険だろう。
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前から不思議に思っているのだが、読売や朝日はウォールストリート・ジャーナル
とかニューヨーク・タイムズとかル・モンドなどの欧米の新聞社の記事を転載して
いるが、逆はどうなのだろう。
全く転載されないわけではないだろうが、基本的には日本にいる外国人記者が
日本のことを記事にして送っていて、わざわざ読売や朝日の記事に紙面を割く
ことはないのではないか。
つまり、欧米から見れば、読売や朝日はクォリティ・ペーパーでも何でもない、
というのが事実なのでは。
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話を戻すと、大新聞の老人たちは、いまだに新聞で世論をコントロールできると
信じているが、インターネットによって否定された、というふうに見える。
朝日もそうだが、安倍政権べったりの読売や産経も、政府のスピーカーになる
ことで、世の中を思い通りにしたいと考える点では同じだ。
むしろ、安倍政権に利用されているといった方が正しい。
新聞社が世の中を変えなくて、誰が変えるというのだ、といきり立つ人もいる
だろうが、もはや世論をコントロールしようとしても見透かされてますよ、と
いう話である。
主導権はネットに移動しつつあることを認めましょう、ということだ。
また、本当に欧米からクォリティ・ペーパーと認められたいのなら、もっと
間口を狭くして、記事の質を上げるしかないだろう。
これまで威張り散らしていたツケが回ってきたのだから、今はおとなしく
叩かれておくがよい、と偉そうに言っておこう。
ところで、大新聞の偉い人たちは、20代や30代の記者とどのくらい話をした
ことがあるのだろう。ツイッターなどのネット情報は、どの程度使っている
のか、若手記者が取材してはどうか。