Boaz2014-09-10

ブーメランになって自分に返ってくることは承知で書く。


自分が何かを好きになるか、嫌いになるか、どっちでもないか、という
判断は自由である。誰にも左右されるべきではない。


それを他人に伝えるとき、誤解が生じることがある。


例えば、すごく面白いと思ったアニメがあるとして、友達に貸すとする。


a: 私はこれをとても面白いと思った。あなたもそう思ってくれたら嬉しい。
b: 私はこれをとても面白いと思った。あなたもそう思うべきである。


普通は a のような気持ちで接すると思うが、稀に b のような感じになる
ことがある。当然、相手は戸惑う。



ときに人は、好き/嫌いという好みの問題を、正しい/間違っているという
問題にすり替える。


私はこれをクソアニメだと思う。あなたもそう思うべきである。なぜなら……
こういう論理で話を始めても、誰も幸せにならない。
自分の判断が絶対だと思いがちな、若さゆえの過ちである。



ただ、批評はどうなるんだろう、ということも考える。
巧みなレトリックで褒めたり貶したりしているが、結局は本人の好みなのでは、
と思わないでもない。


みんなが絶賛しているのに貶すのは勇気がいるが、それが正しいかどうか分かる
には時間がかかる。
逆に、誰も注目していないけれども、いいものを見つける方が、生産的な批評
かもしれない。



いまは誰でもネットに好き嫌いを書き込めるから、ビッグデータ的な傾向は
分かると思う。
その好き/嫌いが、いつの間にか正しい/間違っているに変わってしまいそう
なのが、ちょっと怖い。