錦織圭選手がテニスの全米オープンでベスト4まで勝ち残った。
私はふだんテニスを見ないが、そんな素人にもすごいと思わせる内容だった。
ブラック企業のロゴをつけているのがもったいないけど。
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そういう嬉しい話題に、往年のテニス選手がコメントを寄せていた。
神和住純とか福井烈とか、私でも知っているような有名選手だ。
(以下の話で、松岡修造はちょっと別にしておきたい)
ここからは単なる個人の感想なのだが、年老いたテニスプレーヤーを見ると、
何となく自由な感じがする。
組織に縛られてないというか、きちんと自分の考えを持っているというか、
そういう風通しの良さみたいなものがある。
野球とかサッカーとか柔道とかの、選手から偉くなった人を見ていると、
組織人の臭いが染み付いている感じがする。
もちろんテニスにもそういう人はたくさんいるのだろうが、私は目にした
ことがない。
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これはどういうことか、自分なりに考えてみた。
テニスの場合、日本で話題になるのは、全米・全豪・全仏・ウィンブルドンの
四大大会である。
あと、オリンピックと東レパンパシフィック大会ぐらいだろうか。
日本国内だけの大会もあるのだろうし、中継もされていると思うが、
あまり盛り上がっていない。
テニスでがんばろうと思う若者は、国内をすっ飛ばして世界へ飛び立って
いるような気がする。
つまり、テニスには甲子園的なものがないのである。
実際は全国高等学校総合体育大会テニス競技大会というものが開催されて
いるようだが、去年の優勝校を知っている人がどれだけいるだろうか?
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この、甲子園的なものがない、というのが、私の感じた風通しの良さの
正体なのかもしれない。
そもそもテニスは個人競技だから、野球やサッカーのようなチームスポーツ
とは違う、ということは分かっている。
だが、やはり個人競技である水泳は、オリンピックでスポットが当たりすぎて、
組織人臭がするし、ゴルフは露骨な金の臭いがする。あるいはオッサン臭か。
(石川・松山世代がそれを変えてくれることを望む)
なんというか、甲子園的なものは、国内の競技人口の裾野を広げたり、
レベルアップをする良い面がある一方で、スポーツに軍事的な上下関係を
持ち込む(それを体育会系という)悪い面もあると私は思う。
近代的なスポーツは、もっと楽しいものであり、いつでも始められるし、
いつでもやめていいものである。
そのスポーツに大金がからむようになって、ダークサイドがどんどん
大きくなっているような感じがする。
それに加えて、日本は精神修養をからめた「道」に変質している。
それが甲子園的なものの根底にあるのではないか。
たぶん、日本人はそういうのが大好きなのである。
私も戦車道は好きなので、偉そうなことは言えないのだが。