Boaz2014-02-22

宮崎駿藤子・F・不二雄のことをどう思っていたのだろうか。
年齢を調べてみると、宮崎駿は1941年生まれ、F先生は1933年生まれである。
戦争体験の有無が、ある種の断絶を作っているような気がする。


映画「ドラえもん のび太の恐竜」が封切られたのが1980年3月で、配給収入
15億円の大ヒットになる。
その前年1979年12月に映画「ルパン三世 カリオストロの城」が封切られて
おり、配給収入は約3億円。(いずれもWikipedia調べ)


その後、映画ドラえもんは春休み映画の定番となり、安定した興行実績を
あげていく。
宮崎駿は1989年の「魔女の宅急便」まで、興行面ではドラえもんの後塵を
拝することになる。
(もちろん映画の評価はそれ以前の作品も高い)


おそらく、お互いにフィールドが違うと思っていたと思うが、宮崎駿には
なんかモヤモヤしたものがあったのではなかろうか。


一方、手塚治虫が亡くなったとき、宮崎駿は手塚アニメを酷評した。
もしこれをF先生が耳にしていたら、どうだっただろう。
やはりモヤモヤしたものがあったのかもしれない。



存命中の宮崎駿に、F先生のことを尋ねても、特に価値のある内容は
話してくれないだろう。


もしかしたら対談の企画があったのかもしれない。
それが読めないのが残念である。