仕事と人格は切り離して考えるべきなのだろうか?
理想としては、素晴らしい仕事をする人は円熟した人格であってほしい。
そうした人を偉人と呼ぶのだろうけど、滅多にいない。
天才は変人ばかりというのをよく耳にするから、仕事と人格はもともと
分離したものと考えなければならないような気がする。
これが民間企業や芸術家だったら、まあ仕方がないよね、ということに
なるけれど、公的な立場の人の場合は微妙だ。
NHKの会長や経営委員の発言が問題になったのは、公共放送の運営をする
立場だったからだろう。
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そもそも立派な人格というのは、どういうことを言うのか。
誰もが尊敬できるようなふるまいをする人、というのが辞書的な答えだ
ろう。
そんな悟ったような人間になれるものだろうか。
普通の人は、そこそこ良い人であり、ちょっとずるくもある人だろう。
そして仕事もそこそこできるが、たまに失敗もする。
ほとんどの人はそんなものだろう。
傑出した仕事をする人のプライベートが普通だったりすると、逆に
がっかりすることもある。
同じ心理として、凶悪犯はふだんから凶悪であろうという思い込み
もよく見られる。
話がよく分からなくなってきた。
立派な人と呼ばれるようになるには、仕事もそうだが、人格も鍛え
続けなければならないのだろう。
そのノウハウがいつの間にか失われてきたので、おかしな発言で
物議を醸す人が目立つようになったのではあるまいか。
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ついでに言うと、スポーツ選手にも立派な人格を求めているが、
実際はどうなんだろうか。
もちろん、素晴らしい人がほとんどだと思うのだが、あれっ? と
思うような人もいるはずである。
「いい人」という枠にはめようとして、メンタル面に負担をかけては
いないだろうか。
人の視線が気になって、羽目を外せないというのは、なかなか辛い
ものがあるので。