Boaz2012-06-27

週刊文春週刊新潮などに、適切なタイミングでスキャンダル記事を
放り込めば、世論をコントロールできると考えている人たちがいる。


記事の内容はさておき、私は「このストーリーを暴露することによって
得をするのは誰だろうか?」と考える。
私でさえそう考えるのだから、ほとんどの人もそうだろう。


そういうリテラシーが育つことで、相対的にスキャンダル記事の衝撃度
は下がる。
それはコントロール装置がうまく働かなくなることにつながる。


問題は、ある出来事に対してシニカルな視点しか持たなくなることで、
結果的に権力に対して何も行動しない、ということだ。


羊の群れのなかで、俺は誰が俺たちを柵に入れようとしているか知って
いるぜ。あの牧羊犬は俺たちを脅しているだけだぜ、と薄笑いを浮かべ
ながら、唯々諾々と囲い込まれている一匹の羊のようなものである。


だって、俺はただの羊だし。狼にはなれないしな、と諦めて草をはむ。
私もそのひとりだ。


……もう自分でも何が言いたいのか分からなくなってきた。
ただ、羊をコントロールしているつもりの権力者たちも、どうしたら
うまくやっていけるのかを分かっていない、ということがハッキリし
たのが、ここ数年の出来事ではなかろうか。