私は田舎の引きこもりなので、大都市のデモがどんな状況なのかさっぱり
分からないのだが、原発再稼働反対のデモや戦争法案反対のデモが行われて
いることは、どこかしらから流れてくる話で知っている。
別に揚げ足を取るつもりはないのだが、反対のデモではなく賛成のデモと
いうのはないのだろうか。
賛成というよりは推進のデモというべきか。
つまり、今のところまだ原発は再稼働していないのだから、早く原発を
再稼働させろ、というデモがあってもいいのではないか、と。
憲法の解釈を変えて集団自衛権を使えるようにしろ、というデモもあって
しかるべきなのではないかと思う。
なぜ、そういうデモはないのだろうか?
それは、放っておけばいずれそうなる、と賛成派の人は思っており、わざわざ
示威行動するのは無駄だから、という理由が考えられる。
それと同時に、原発再稼働や戦争法案に賛成する人は、連帯して行動する人では
ないということも理由に挙げられるだろう。
なぜなら彼らは、俺だけが幸せになればいい、と思っているからである。
しかし、考えてみると、右翼の街宣車とかヘイトスピーチのデモというのは
存在しており、あれが推進派の示威行動の一種なのかもしれない。
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私は、デモというのは何かに反対する人が集まるものだ、という先入観がある。
群衆の威圧感で権力側に対峙しようとしているのだから、そう考えるのが普通だ。
もし何かポジティブなことでたくさんの人が集まることがあるとすれば、それは
デモではなく祝祭だろう。
例えば、スポーツで優勝した人たちのパレードとか、皇室の婚礼など、政治的な
ことではない集まりがそうである。
お祭りとか初詣のような宗教的なものにも、大勢の人が集まるが、これらも通常は
権力側が神経をとがらせることはない。
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外国だと、同性婚を合法化した米国で、お祝いのパレードがあったと思う。
あれはポジティブなデモと言えるのではないか。
おそらく、日本でデモを企画している人たちも、もっと多くの人に気軽に参加して
もらいたいと思っているはずで、加わるハードルを低くしているのだろう。
であるならば、反対するデモではなく、ポジティブなデモというのもやってみたら
いいと思う。
私が思いつくぐらいだから、もう何年も前からやっているのだろう。
メディアも、デモのとらえかたを見なおして、反対反対と叫んでいる人ばかり
映像にしないようにすればいいのに、と思う。