3月2日付の読売新聞の解説欄「ダウンロード規制の拡大 波紋」

と題された記事に、3人の論者がそれぞれの立場で語っていた。

私はマンガ家の赤松健と意見を同じくするのだが、規制を推進する

人もいた。それが東京大学教授の大渕哲也である。

彼が言うには

 今回の著作権法改正を巡る議論のポイントの一つは、国民の

日常的行為に法の網がかかることの是非だろう。私的領域での

「行動の自由」は重要であり、著作物の私的使用目的の複製を

認めてきた同法30条1項はもちろん重要と私も考えている。だが、

それは違法なソースからの複製が大前提だ。極論でない証拠に、

日本と同じように私的複製を認めているドイツやフランスなど

でも、ダウンロードの対象は違法な侵害複製物でないことが

要件とされている。これが国際標準だ。ちなみに対象は著作物

全般であり、映像と音楽に限っているような国はない。

 

 それでも今回の改正が文化の発展を阻害すると主張するなら、

その人たちは、既にそのような法制下にある独仏でインターネット

利用の萎縮が起きていることを立証するか、独仏で起きていない

ことが日本で起きるとする理由を説明するべきではないか。(後略)

とのことである。

 

では反論しよう。

まず「これが国際標準だ」と言っているが、そんなものはない。単なる

思い込みである。ドイツやフランスがやっているから日本もやるべきだ、

というのは根拠もなく欧米が正しいと信じているからではないか? 

 

もうひとつ、「独仏で起きていないことが日本で起きるとする理由」を

説明する。

日本には週刊で発行されているマンガ雑誌があり、毎週放送されている

深夜アニメがある。独仏にはそのようなものはない。

それらをベースにした二次創作をアマチュアが趣味としてやっており、

一年に二回、コミックマーケットという大規模な即売会を開いている。

繰り返すが独仏にそのようなものはない。

 

日本のマンガやアニメが海外でも評価されているのは、ちょっとした

イラストやマンガが描ける素人が膨大にいて、そのトップクラスにいる

人が表現しているからである。

イラストやマンガの裾野はツイッターを見れば分かるだろう。

 

つまり、独仏にはアマチュアを含めたマンガやアニメの表現空間が

ほとんどないので、インターネットでダウンロードの規制をしても

萎縮は起きない。

だが、日本にはマンガやアニメのグレーゾーンを含む表現空間が

あり、規制をすれば萎縮する可能性がある。

それが「独仏で起きていないことが日本で起きるとする理由」だ。

 

 

おそらく大渕哲也はサブカルチャーに関する知識が欠落しているのだろう。

そういう人間が文化審議会著作権分科会に居座っているので、このような

混乱が起きるのだと思う。

 

もちろん漫画村のような違法なものは取り締まらなければならない。

けれども、権力を利するような法改正は後世に禍根を残すだろう。