性のハイパーインフレーション

今日の朝日新聞に、産婦人科医の早乙女智子という人のインタビューが
載っていた。

 ローティーン向けのファッション誌「ニコラ」の相談コーナー「保健室」には、
「親には絶対に聞けない」という少女たちの体や性の悩みが寄せられ
てきます。その回答者を担当して、14年ほどになります。


 「保健室」の中学生像で相変わらずなのが、性の基礎知識がないこと。
気軽に正しい情報を得るところがなく、親もきちんとは知らない、先生には
聞きづらい、友達からは間違った情報が入ってくる。


 でも変わってしまったこともある。前は「彼氏ができたらエッチしても
大丈夫ですか?」だったのが、最近は「しちゃったんだけど」とあっけらかん
としたケースが増えています。しかも「たまたまゆうべ、違う人としちゃった」
と、パートナーがコロコロ変わるのが一般化しています。その昔は結婚前は
セックスしない、相手は1人と社会規範みたいなものがありましたよね。今は
「浮気」とも言わない。


どのくらいの割合かは分からないが、驚くべき中学生のビッチ化である。
ほとんど握手のような感覚でセックスしているとはうらやましくもあるが、
彼女らは自分たちの信頼性を深く毀損していることに気づいていない。


私は古い価値観の人間なので、自分に好きな女性ができたら、彼女が別の
男性と気軽にセックスするのを許せない。
もちろん、私も他の女性とはしない。


恋愛とか結婚というのは、この前提をお互いに了解して成り立っている
と思うのだが、それは相手を信頼しているからである。


しかし、いったいどんな男性が、中学生の段階で誰とでも気軽にセックス
している女性と付き合えるのだろう? 
私は無理だ。最初から信頼できないし、そんな関係を続けるのに耐えられ
ないからである。


もし付き合うとしたら、同じような行動をしている男性だけだろう。
セフレというのはそういうものだろうけど、それは付き合っているとは
言えまい。


そして、多くの女性は中学生からビッチ化している、という情報が広まる
と、そもそも恋愛の対象にしないのではなかろうか。
確実に他の男とセックスする女に真剣になるはずがない。


真剣になるという価値観がオワコンだと言われたら、もうどうしようも
ない。筒井康隆の「アノミー都市」のような社会になるのではなかろう
か。


1万円札は、みんなが1万円だと思うからその価値で交換できる。
そのお札を信用しているからだ。
女性をお札に例えるのはフェミニズム的にダメかもしれないが、
現実に予想できるのは女性のハイパーインフレである。


もし、どんなに好きな相手ができたとしても、ビッチという理由で
付き合うことはできないだろうし、結婚も不可能だ。
膨大な量の札束が無価値になるのと一緒である。


誰もビッチと家庭を持ちたいとは思わないだろうから、次世代の
育成は壊滅的な打撃を受けるだろう。
極左的な考えだと、誰が父親か分からない子供たちを集団で育てる
プログラムができるかもしれない。


それにしても、リア充というのは、相手を信用したふりをしつつも、
裏でお互いにとっかえひっかえしているのだろうか。
それがスマートな生き方だと思っているとしたら、愚かだと思うが。


とりあえず私は、どんなに魅力的に見える女性も、こいつはビッチだ
な、というフィルターをかけて見る。
結局、千夜一夜物語のシャーリアル王のような処女厨になるしかない
のだろうか。