子供と読書

子供がどうやったら読書好きになるのか、というのを考えてみた。
いわゆる文学作品の読者は、大人でも少ない。
純文学の単行本は10万部売れたら大ヒットである。「群像」とか
「新潮」のような文芸雑誌の発行部数は1万部を切っているのでは
ないか。


まだエンタテインメント系の文学なら、ときどきベストセラーが
出るから、こちらの方の読者も入れると50万人ぐらいか。
それでも人口の0.5%ほどである。
つまり、読書というのはもともと人を選ぶ趣味なのである。


当たり前だが、世の中の本は文学作品だけではない。
史書や技術書もあれば図鑑や美術書もある。
どういう本が自分にフィットするかは、いろいろ当たってみなけれ
ば分からないだろう。


ただ、学校の国語科では、どうしても文学作品にウェイトが置かれ、
読書=文学作品という刷り込みができてしまっている。
ナチュラルボーンに理系の子供などは、それで本が嫌いになること
もあるのではなかろうか。


昔は「学研のひみつシリーズ」が大人気だったものだが、今はある
のだろうか。マンガで理系の知識を得られる、いい企画だったのだ
が。


子供が本を読まないのには、もうひとつ原因があるような気もする。
それは、子供が尊敬するような大人が、どうもあまり本を読んでい
ないようなのだ。


たとえばサッカー選手や野球選手は、「どうやったらそんなふうに
なれますか?」と質問されたら、モチベーションを持ち続けて、練
習をサボらずにやること、と答えるだろう。


では、子供たちに「どうやったらそんなふうに賢くなれますか?」と
質問されて、それは本をたくさん読んだからだよ、と答える人は
いるだろうか? 
そもそも、「賢くなれますか?」と質問されるような大人がいない
のではないか。


実際には、賢い大人たちはみんなしっかりと本を読んでいるはずで
ある。それを見せびらかすようなことをしていないだけだろう。


けれども、ある程度の読書量は必要である、というアナウンスを、
どこかの時点で誰も言わなくなってしまった。


それが教養主義の崩壊であるかどうかは分からないけれど、学生
の知的虚栄心を焦がすような同調圧力が、いまと50年ぐらい前まで
では雲泥の差があるのではないかと思う。


話が変な方向にずれてしまった。
私としては、小学館から出ている藤子・F・不二雄大全集を読ませ
るのが、読書のとっかかりとしてよろしいのではないかと思う。
ドラえもん」すら読んだことのない日本の子供がいるとしたら、
とても哀しいからである。