昨日の続きを考えた。
体系的な知識は、上の世代が繰り返し教えないと継承されない、という
話である。
普通に考えたら、それが教育であり、学校で習うことだ。
多くの先進国が、これぐらいは知っておいてほしい、という内容の体系を
子供たちに教えている。
が、多くの子供たちは、それが体系の一部であることを理解せずに学校を
卒業する。
「これをやって何の意味があるんですか」というやつだ。
もっとも、これは学問の体系の話である。
映画やマンガは、義務教育では学問の体系の一部として教えられては
いない。
厳密に言うと、小学生の教科書には、マンガについて学ぶ内容がある。
が、あくまでもマンガという形式や表現についてであって、過去から
現在までの作品を述べているわけではない。
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学問とサブカルチャーのはざまにあるのが小説ではないかと思う。
教科書には必ず文学作品が載っている。
過去の文学をひとつも読まずに学校を卒業することは不可能だろう。
高校では文学史も習うから、体系的なものに一応は触れられる。
(ほとんどは日本の文学史だろうけど)
じゃあ、みんな小説については体系的な知識があるのかというと、
ほぼないと思っていいのではないか。
白樺派とか自然主義とかの用語は憶えているかもしれないが、実際に
小説を読んだ学生は激減しているような気がする。
なんだか話が脱線するが、夏目漱石は教科書に載っているから、一部でも
読んだことのある人は多いと思うが、谷崎潤一郎はどうだろうか。
もしかして、作家になりたい若者が、谷崎潤一郎って誰ですか? という
ような怖い話があるのだろうか。
さらに脱線するが、センター試験の小説の問題に出題される作家は、
プロの目から見てどういう傾向があるのかも知りたい。
性的なものが主題の作品は高校生には出題しないという決まりがある
のだろうけど、そのあたりはどうなっているのか。
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個人的には、憧れる人がいたら、その人の読んだり見たりしているものを
自分も知りたいと思う。
今の若者たちも、そういう気持ちは持っているはずだが、どうなんだろう。
若者に格好いいと思われている人たちが、すでに体系的な知識を身につけて
いない場合、彼らに憧れる若者も、何も知らないままになっているということか。
その反作用として、薄っぺらい知識で「あれはなんとかのパクリだ」と
騒いでいるのかもしれない。
サブカルチャーの体系的な知識の継承という問題について、誰か解説して
くれたら読みたい。