うほほいシネクラブ

うほほいシネクラブ (文春新書)

うほほいシネクラブ (文春新書)

内田樹にとって、映画批評は余技である。
でも読んでいて面白い。


たぶん
1.過去の名作をきちんと見ている
2.映画を分析するツールを持っている
 (内田の場合は精神分析
3.高尚な作品もバカ映画も区別しない
という理由ではなかろうか。


非常に雑多な内容なので、気に入った部分を抜粋して感想にかえる。


間宮兄弟

 オタクは「決して裏切らないもの」に忠誠を誓います。
 ですから、オタク男性の最初(にして最大)の偏愛の対象がしばしば「母親」で
あるのも当然のことです。(中略)


 「若く美しい女たち」にも、もちろんオタクたちは強い固着を示します。でも、
それは彼女たちの行動が母親とはちょうど逆の方向に首尾一貫しているせいです。
つまり、「若く美しい女たち」は「オタクの一途な愛を歯牙にもかけず一蹴する」
という仕方において、決して彼らの期待を裏切ることがないからです。


 いささか分析的な言い方になりますけれど、オタクたちはうっかりと「若く美しい
女」との関係が好調に展開しそうになると、むしろそれを進んで台無しにして、
「オタクに惚れる女はいない」という不易の心理を確認しようとします。むろん、
本人たちは自分たちが無意識のうちにそんな行動を選択していることに気づいて
いません。(p54-55)

オタクは生まれついてのもので、若い女に酷い目に遭ってオタクになるわけでは
ない、ということだろうか? 


冬のソナタ

 「宿命」について、かつてレヴィナス老師はこう書かれたことがある。
 宿命的な出会いとは、その人に出会ったそのときに、その人に対する久しい
欠如が自分のうちに「既に」穿たれていたことに気づくという仕方で構造化され
ている、と。


 はじめて出会ったそのときに私が他ならぬその人を久しく「失っていた」こと
に気づくような恋、それが「宿命的な恋」なのである。はじめての出会いが眩暈
のするような「既視感」に満たされて経験されるような出会い。私がこの人にこ
れほど惹きつけられるのは、私がその人を一度はわがものとしており、その後、
一度はその人を失い、その埋めることのできぬ欠如を抱えたまま生きてきたから
だという「先取りされた既視感」。それこそが宿命星の刻印なのである。(p112-113)

ややこしいが、「魔法少女まどか☆マギカ」で、ほむほむが一話目でまどかに
対する気持ちを押し殺す場面、これがドンピシャで当てはまる。


宮崎駿の身体】

 人が「少女の身体を持つ」という条件の下で経験しうる最高の愉悦とは何か、
ということを宮崎駿はつきつめようとしたのだ。


 もう少し年齢が上がると、性的関心が少女たちの世界を覆い始める。それが
彼女たちの視野を狭め、事物の解釈を定型化してしまう。世界はそのようにして
「性化」(sexualize)されることになる。化粧し、媚態を演じ、恋の駆け引きに
没頭する女性はたぶん宮崎駿にとってはもう魅力的ではないのだ。


 性的に成熟するわずか手前の、荒野や辺境を駆け巡り、心ときめく冒険をするに
足るだけの身体的成熟には達しているが、性的目的のためにそれを用いることに
ついては、まだ自制する必要さえないほど無関心であるような段階の少女たちこそ、
宮崎駿から見ると、「身体を持っていること」それ自体から強烈な愉悦を汲み出す
ことのできる、例外的、特権的な存在なのである。


 世界は十分に美しく、それはどのような人間にとっても生きるに値する。これが
宮崎駿の究極的な映画的メッセージだと私は理解している。
 このようなメッセージは、あるがままの世界をすぐれて愉悦的に享受している存
在を経由してしか伝わらない。「空飛ぶ少女」はその理想型である。(p166-167)

オタクが大好きなのも、このような少女たちである。
では、オタクの成熟とはどうすることなのだ? 


時をかける少女

 DVDには「ふろく」で大林監督のインタビューもついていた。その中で、監督は
わずか28日間しかなかったこの映画の撮影期間中に、スタッフ全員が原田知世
いう少女が大好きになって、「この少女のいちばん美しい瞬間をフィルムに収め
よう」という情熱を共有したことが映画の成功の原因だろうと語っていた。


 映画は主演の少女女優が中学を卒業して、高校に入学するまでのひと月たらずの
休暇のあいだに撮影された。忘れられやすいことだが、映画もまた演劇と同じく
「一回的な出会い」の記録である。


「もう子どもではなく、まだ大人ではない少女のほんの一瞬のきらめき」はいま
フィルムに定着しなければ永遠に失われるだろうというある種の切迫感が、俳優
たちにもスタッフたちにも共有されていた。その切迫感が「いまの一瞬は、最初で
最後の一瞬である」という「時の移ろい」という映画の主題そのものとみごとな
重奏をなしとげたのである。(p328-329)

アイドル業界の人はこれを胸に刻んで、旬の時期を逃さないようにして
いただきたい。


内田先生には、ぜひ「魔法少女まどか☆マギカ」を見て、感想を聞かせて
ほしい。