野鳥

最近、野鳥の名前を知りたくなってきた。
自転車通勤なので、川や田んぼにいる鳥をよく見かけるが、名前を知らない。
これは恥ずかしいことではないか、と思ってネットで調べたりした。


サギやセキレイは分かるのだが、ヒヨドリムクドリはいまだにすぐ見分けがつかない。
メジロは以前飼っていたことがあるので鳴き声で分かる。
キジバトやスズメはメジャーな野鳥なので調べるまでもない。
最近はツバメも飛び交い始めた。


若いときは、そういうものにほとんど興味がなかった。
野鳥は野鳥というあいまいなカテゴリーでひとまとめにされていた。
今でも昆虫や植物はそうである。特に雑草と呼ばれるものは、みんな同じに見える。


たしか宮崎駿が言っていたと思うが、絵を描く人が、背景の木や建物のディティールを認
識しているのといないのとでは、作品の質が全く違うのだそうだ。
確かにその通りだろう。


おそらく人生のディティールについてもそうなのではないか。
一生、鳥や虫や植物の名前を知らないままなのと、少しでも知っているのでは、生きてい
る気分が違うのかもしれない。


これは自然についての話であるが、たとえばグラビアアイドルのディティールとか鉄道車
両のディティールであるとか、そういうオタク系のものでもいいのかも。


しかし、こういうどうでもいいことの細かい差異を気にするのって、資本主義の原点では
ないか、とも思う。
まあ、野鳥の差異についての知識が交換可能な財であるかどうかは分からないけれど。