書斎

月刊プレイボーイに著名人の書斎が特集されていた。
内田樹の書斎も紹介されていたので興味があって立ち読みしたら、なんとリビングにコタツ
あるではないか。なんだか親近感がわいた。


他の人の書斎は、当たり前だがデスクに椅子である。
その背後の壁が一面の本棚になっており、ぎっしりと本が詰まっている。
私は書斎というものに憧れてきたが、住宅事情と自分の知的な能力の無さを自覚しているので
諦めた。


だいたい、書斎は月に何万円いや何十万円も本を買う人じゃないと作れないのではなかろうか。
買うだけではなく、それをバリバリ読みこなす知的な体力も必要だ。
有名な話だが、司馬遼太郎が何かを執筆するとき、神田の古書店からトラック一台分の古書が
消えると言われている。


東大阪にある司馬遼太郎記念館には、2万冊の書庫があるらしい。
ひとくちに2万冊というが、これは図書館の規模である。
いったいどのあたりで書斎の範疇を越えるのか、常人には計り知れない。


月刊プレイボーイの書斎特集にはビブロマニア(古書狂)として有名なフランス文学者の鹿島
茂も載っており、そのインタビューは面白かった。
もはや世界でも数人しか価値の分からない本などを持っているらしいが、いったいいくらした
のだろうか。


そういえば、この特集には唐沢俊一が入っていなかったような気がするが、取材しようとして
断られたのか、プレイボーイ編集部が最初から取材しなかったのかは分からない。
たしかテレビで彼の書庫を見たことがあるが、変な本の図書館みたいだった。


著名人の本棚に自分が持っている本があると、すごくうれしいのは私だけだろうか。
あ、あの人もこの本を読んだことがあるんだ、と思うと自分が賢くなったような気がして。


書斎を持っている人は、たいてい何かの全集を持っていると思う。
私も筒井康隆全集を買おうかどうしようか迷って、結局買わなかったが、今でも悔やんでいる。
おそらく全集を買った時点から、本の堆積が始まるのかもしれない。


いや、書籍に限らず、あらゆるものはある臨界点を超えると急速に同じ場所に集まってくる習
性(?)があるのではなかろうか。
たとえばビデオとかDVDボックスとかフィギュアとか、思い当たる人もいるだろう。


私は石田衣良の書斎のようなオシャレなものよりも、本人以外にはどこに何があるのか分から
ないようなゴチャついた書斎が好みだが、普通の人で結婚していたりすると嫁さんに整理され
てしまうのではないかと思う。


なぜ女は書斎にあまり憧れないのか、そのあたりも不思議なのだが、きっとゴチャついたもの
に絶えられないからかも。