予備校の先生

もう20年以上前の話だが、私は広島の河合塾で浪人生活を送っていた。
当時、大手の予備校は駿台代ゼミ河合塾の3校で、地元にはいずれもなかったので、
県外に出る浪人生も多かった。親には感謝しないといけない。


で、広島の河合塾では、いちおう真面目に勉強はしたのだけれど、秋ぐらいまではダラダ
ラと過ごしていたので、成績もパッとしなかった。


あれは夏期講習のときだったか、私は世界史を選択しており、初老の先生の講座をとった。
予備校の講師というと、面白トークで生徒を沸かせ人気と年収がアップする、みたいなタ
イプが多かったけれど、この先生は地味だった。


どういうきっかけで予備校の講師になったのかは分からなかったが、訥々と世界史を語り、
ときおり「アメリカの大統領なんてものは、操り人形であります」などという話を入れた
りする。


はっきり言って、つまらない授業だった。
なので、受講した生徒は最初から少なく、しかも後半になるにつれてどんどん減っていっ
た。私はお金を払っていたし、なんとなく最後まで残っていたけれど、こりゃ自分で勉強
した方が早いな、とは思っていた。


この世界史の先生の印象はこれだけで、すでに顔や名前は忘れてしまった。
いま、中学生に教える立場になると、あの先生の気持ちもよく分かる。
面白トークができるかどうかは講師のキャラの問題で、できない人はどうしてもできない
のだ。


授業というよりは、ほとんど話芸の世界であり、客を最初につかんでから笑いへ持って行
くテクニックは、そう簡単には身につかない。
一種の才能の問題である。


では、トークが下手な人は講師に向いていないかというと、そうでもないだろう。
生徒との相性もあるけれど、朴訥な感じの授業がいいという子もいるはずで、肝心なのは
トークではなく授業の内容である。


ま、そういうふうに自分をなぐさめながら毎日教えているのですけどね。