中学生の子に、中国語で彼らの名前の読み方を教えると、わりと喜ぶ。
簡単な苗字だったらすぐに発音することができるから、ちょっとした余興にもなる。
(難しい字はこっそり家で辞書を引いてくる)
中には読み方を書いてくれ、とねだる生徒もいて、次の授業のときまでに憶えてきていたりする。
その努力を英語や数学にもまわしてほしいのだが‥‥。
なんで彼らがこんなに面白がるかというと、知的なフレームが広がったからだと思う。
中学生なんて、世界の枠組みを非常に狭くとらえているものだから、自分は何でも知っていると
勘違いしやすい。
ところが、隣の国では漢字の発音が違っている、という事実を教えただけで、その枠組みが少し
だけ外に広がる。
この広がったときの興奮が忘れられないのだろう。
まあ、こういったことは入試には全く役に立たない。
受験勉強は、きっちり決まったフレームの中を塗りつぶしていく作業なので、枠組みが広がるこ
とは悪いことなのである。
それにしても、中国語をちょっと教えてやるとあれほど興奮するというのに、新しい英単語を教
えても、ちっともわくわくしないのはなぜなのだろう?
きっと彼らの頭の中で、英語=勉強するもの、とカテゴライズされており、無味乾燥な無駄知識
ぐらいにしか考えられていないのだろう。
そのアホさ加減が、実に中学生らしいといえばらしいのだが。