もし間違っていたら申し訳ないのだが、米国の大学入試SATの

科目では、外国語が選択試験になっている。つまり選ばなくても

かまわないということだ。

 

そのかわり、学力以外の課外活動などが重視され、小論文や推薦状が

求められるそうだ。

 

ということは、日本でいうなら英語の試験がないということになる。

 

 

米国の大学生のレベルは一部を除いてそれほど高くないらしく、

本当の専門性は大学院に進学してから求められるとのこと。

それでも日本よりもイノベーションが盛んなのはなぜだろう? 

 

外国語を習得する能力は、実はあまり必要ではないのでは、と

疑問がわいてくる。

米国人はたまたま母語が英語の人がほとんどだから、リンガ・

フランカであることに下駄を履かせてもらっている。

 

英語圏の受験生が英語を勉強しなければならない時間を、

彼らはほかのことに割けるわけだ。

 

 

もし世界の覇権が中国に移ったならば、米国人たちは必死で

中国語を習得するのだろうか? しないような気がする。