二分法

80年代に「ネクラ・ネアカ」、バブル期に「マル金マルビ」、そして00年代に「勝ち組・負け
組」と、日本ではわりと二分法でものごとを決めることが流行った。
分かりやすいから人気があったのだろう。


政治でも二大政党制度になりつつあるけれど、こういうのはどこかに落とし穴があるような気が
する。あれかこれか、以外の選択肢がなくなってしまうからだ。


それに、上記の二分法は、一方が良くて一方がダサい、という価値判断が入っており、ダサい側
にカテゴライズされてしまうと、なんだか嫌な気分になる。
気にしなければいいのだが、自分で考えられない人ほどこれらの二分法にハマりやすいので、世
間で仕事をしているとそういう人に遭遇して、疲れてしまうことが多々ある。


そういえば、血液型は4つのパターンだが、二分法のように扱われることがある。
例えば、B型はバブル期には個性的で良いとされていたのに、不況になると、わがままで空気を
読めない奴、みたいなレッテルを貼られている。


これが4パターンのうちの一つの評価だったらまだいいのだが、なんだか他の血液型は良くて、
B型だけ悪者とされているのが理不尽だ。


最近の「KY」(空気 読めない)も、周りの雰囲気に合わせて自分を出さない人間を評価して
いるようで、いかがなものかと思う。


こうして、ある集団で仲間はずれを作るのは、それ以外で結束して安心したいからだが、一体な
にが不安だというのか。


「ネクラ・ネアカ」のときは、高度成長が終わり、勤勉さより消費する主体が格好いいとされた
ため、なんとかそれに乗ろうとする人々の不安がそうさせたのだろうし、「マル金マルビ」は
バブル期に踊った人と取り残された人をそれぞれ揶揄するはずだったのが、単なる記号付けにな
ってしまったのだろう。


勝ち組・負け組」は言うまでもなく格差社会で生き残れるかどうか、という不安が核になって
いると思う。「モテ・非モテ」もそうかな。


このような二分法が流行るのは、社会があんまり健全じゃない状態のときのような気がする。


本文と写真はまったく関係ありません

川 釻_ゝ釻||<B型で天然だが、なにか?