文明と技術

よく古代文明の遺跡が、現在とほぼ変わらない程度の暦を持っていたとかいう話があり、
昔の人も頭よかったんだ、みたいな結論になることがある。


しかし、これは二つの点で間違っている。
ひとつは、技術は過去から未来へ絶え間なく進化していくものだ、とナチュラルに考えている点。
もうひとつは、技術を開発した人と、それを使う人は同じ知識を共有していると考えている点である。


確かに科学技術は絶えず新しいものに上書きされているけれど、それが進化であると断言はできまい。
次世代のDVD競争なんて、消費者を無視しているようにしか思えないし、日本の携帯電話の機能だって
進化というよりは装飾化している。


一方で、工芸品の技術のように、伝承する人がいなくなって絶える場合もあるし、ある種のバイオリ
ンは現在でも製法が完全に分からないものもある。
昔のものは悪くて、今のものはいいとは限らないのだ。


ただ、画期的な技術を開発するような天才は、何百年かに一人生まれるだろう。
人間の大脳の大きさが変化してない以上、天才はいつの時代に生まれても天才である。


その天才が何か誰にでも使えて便利なものを発明したとしても、同時代の人が全員その原理や構造を
理解しているかといえば、そうではないだろう。
現に、私は携帯電話の技術についてほとんど知らないが、何とか使うことはできる。
多くのユーザーにとって、なぜ電話やメールがつながるか、というのは、実はどうでもいいことなの
だ。


なので、古代文明に現在と同じぐらい素晴らしい技術があったとしても、そういうこともあるな、と
驚かない態度だってとれるわけだ。ちょっとイヤミな感じに見られるけど。


むしろ、現在の科学で説明できないものすらあるだろう。
だからといって、古代文明は人間が作ったものではない、などと考えるのはどうだろう。
そこには、現在の人間が最も賢くて、過去の人間は愚かだという思想があると思うのだが‥‥


本文と写真はまったく関係ありません

川 ’−’)<なんも思いつかんかった