職人と呼ばれる人は、たぶん現在でも徒弟制度で育っているはずだ。
なんで急にそんな話をしようと思ったかというと、とあるアニメーター
のブログを読んだからだ。
フリーのアニメーターは、制作から依頼されて原画を描いたり作画監督を
やったりする。
その仕事の受け方、選び方のありようが、まさに職人的に思えたのだ。
で、アニメーターとして独り立ちするまでには、何らかの師弟関係の
中で修行するのではないか、と思われる。
独学で巨匠になった人もいるかもしれないが、そういう天才は一握り
だろう。
学者も徒弟制度があるように見える。
ある教授の研究室に所属したら、師弟関係が学問と同じぐらい大事に
なるみたいだ。
そこでの人間関係がうまくいかなくなると、学者としての出世も危うく
なる。
↓
徒弟制度は、近代になじまないものなのだろうか。
誰もがオープンに技術を学べるようにするのが、近代化というもの
かもしれない。
なんとなく米国がそういう感じで、師匠の代わりにマニュアルが
発達している、という印象だ。
(だが、実際は職人の世界があるような気もする)
逆に、欧州は基本的に徒弟制度がしっかり残っており、ドイツや
イタリアで職人になろうと思ったら、まず師匠に弟子入りしなけ
ればならないのではないか。
↓
では、一般の企業はどうか。
先輩からのノウハウを学ぶことはあっても、徒弟制度という感じでは
ない。研修という形に変化していると思う。
で、この研修も外部委託してコストを引き下げようとしているのでは
なかろうか。
そうすると、企業に存在する無形のノウハウというか蓄積は、いつの
間にか消えていくことになる。
人をコストとみなすと、最終的には取替え可能な部品として扱うように
なり、企業の長期的な生命力は損なわれるのではないだろうか。
↓
徒弟制度のような、ある意味で濃密な教育が、2000年代前後に行われなく
なり、それが様々な場面で組織の硬直化をもたらしているのではないか。
私は自民党の内部でも、同様のことがあったのではないかと思っている。